『狼がたまごを温めたら』

『物語の効用』
 ~作家 寒竹 泉美~

寒竹 泉美


 もし、1日の栄養を1錠で全部取れて腹もふくれる錠剤が開発されたら、人々は、「何て効率がいいんだ。時間の節約になるし無駄がない!」とかなんとか言って、湯気のたつ料理を、ゆっくりと味わう楽しみを放棄してしまうだろうか。

 答えは否である。少なくともわたしは否である。(締切に追われているときの唯一の楽しみは食べることなのに、それを奪われたらどうやって仕事をすればいいんだろう!)

 いつか、ビジネス本や自己啓発本を小脇に抱えた読書家に「小説なんて作り話でしょう? だらだら長くて結論もはっきりしないし、いったい何の役にたつの?」と言われたら、こんなふうに、料理にたとえて話してみようと考えている。

 料理が出来上がるのを待つ、わくわくした気持や、初めて口に入れた時の新鮮な驚き、夢中でどんどん食べてしまう感じ。それらはみな、小説を読むときにわたしたちの体の中で起こる反応によく似ている。そして、体中に幸福が満ちるお腹いっぱいの状態は本を読んだ後の余韻にそっくり。時間をかけて食べたおいしい料理はいつまでも記憶に残って、思い出すたびに幸福な気分になるけれど、良質な物語にもそんな力があると思う。

 この本もしかり。しかも栄養たっぷり。

 だから、「小説なんて何の役に立つの?」って思っている人にこそ、読んでもらいたい。もちろん、何か面白い小説はない? と探している人も読んでほしい。

 動物たちが我が物顔に暮らし、アヒルと狼が結婚してたまごが生まれるへんてこな世界が舞台だけど、読み進めていくと、そこは、わたしたちの世界にそっくりだということが分かってくる。アヒルの悩みはわたしたちの悩みであって、狼の実践的行動もわたしたちの課題である。彼らは、しなくていいこと(母親のアヒルの代わりに、父親の狼がたまごを温めるという思いつき!)をわざわざやって、そのせいで様々な困難に巻き込まれる。

 悩んで苦労して失敗して、あとから振り返ったら、とんだ回り道。でも、回り道をしたおかげで、その途中に想像もつかないような出会いがあって、心が動かされ、成長する。待ち望んでいたものが得られた喜びも倍増する。

 ここまで読んで、少しでもお腹が空いてくれたら幸い。さあ、ナプキンを広げて、おいしい物語を召し上がれ。
 

2012-05-30

 profile 寒竹泉美(かんちくいずみ)
 1979生。京都在住の恋愛小説家。医学博士。
 刊行作品: 月野さんのギター(講談社) など。

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