05.1990年代の光と闇 / 
~ ”きいてみ~よ!” イタリアPOPSのススメ 2012 ~ 第5回
《Piccola RADIO-ITALIA(ピッコラ・ラディオ=イタリア)》

イタリアのポピュラー音楽は、1970年代に大きな変質を遂げ、さらに1980年代にグローバル規模のメジャーレベルの傘下に再編されることで、日本市場と乖離してしまいました。

※詳細は本コラムの過去記事をご参照ください。
『03. 激動の1970年代』
『04. 1980年代の復活と混沌』

今回のコラムはその次の時代となる1990年代について言及したいと思います。

長い栄光の歴史を誇るサンレモ音楽祭は、1970年代後半に存続の危機を迎えた時から、復活を果たした1980年代初頭を経てもなお経費を絞る体勢を踏襲し続けていましたが、ようやく1990年に生演奏での音楽祭を再開します。

これに呼応するかのように、サンレモ未出場だった大物アーティストらがこぞって初出場を果たし、当然のように優勝をさらい、この伝統的な音楽祭を一層盛り上げることに功を奏しました。

1990年優勝:"Uomini soli" / Pooh(プー)


1991年優勝:"Se stiamo insieme" / Riccardo Cocciante(リッカルド・コッチャンテ)


1991年2位:"Spalle al muro" / Renato Zero(レナート・ゼロ)


また1990年代のサンレモ音楽祭の功績は、次世代を担う新しいスターを輩出したこと。とりわけLaura Pausini(ラウラ・パウズィーニ/日本語表記:ラウラ・パウジーニ)、Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ)は、後に世界的に著名なイタリア人アーティストの代表格に成長する事となりました。

1990年新人部門優勝:"Disperato" / Marco Masini(マルコ・マズィーニ/日本語表記:マルコ・マジーニ)


1992年新人部門優勝:"Non amarmi" / Aleandro Baldi e Francesca Alotta(アレアンドロ・バルディ・エ・フランチェスカ・アロッタ)


1993年新人部門優勝:"La solitudine" / Laura Pausini(ラウラ・パウズィーニ/日本語表記:ラウラ・パウジーニ)


1994年総合優勝:"Passera`" / Aleandro Baldi(アレアンドロ・バルディ)


1994年新人部門優勝:"Il mare calmo della sera" / Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ)


1995年総合優勝:"Come Saprei" / Giorgia(ジォルジァ/日本語表記:ジョルジャ)


1995年新人部門優勝:"Le ragazze" / Neri Per Caso(ネリ・ペル・カーゾ)


1997年新人部門優勝:"Amici come prima" / Paola e Chiara(パオラ・エ・キァラ)


1999年新人部門優勝:"Oggi sono io" / Alex Britti(アレックス・ブリッティ)


また1990年と1991年は、サンレモ音楽祭40周年記念を兼ねて、1960年代の黄金時代さながら豪華な海外ゲストを招きました。

Ray Charles(レイ・チャールズ)、America(アメリカ)、Leo Sayer(レオ・セイヤー)、Howard Jones(ハワード・ジョーンズ)、Bonnie Tyler(ボニー・タイラー)、Laura Branigan(ローラ・ブラニガン)、Randy Crawford(ランディ・クロフォード)他

"Gli amori" / Toto Cutugno |"Good love gone bad" / Ray Charles


サンレモ音楽祭以外の潮流では、Jovanotti(ジョヴァノッティ)が、イタリア語初のRapを手掛け始めたのがちょうど1990年前後頃で、後にイタリア語Rapの祖と目されることになりますが、Jovanottiの偉大なところは、当初の若年層ファンだけに留まらず、そのRapに社会的なメッセージを織り込んで、大人たちの耳を傾けさせたこと。そして今では単なるラッパーではなく、イタリアPOPS界を牽引する大物アーティストの地位を築いています。

"Ciao mamma"(1990年) / Jovanotti


そして1999年のミュージックシーンに突如現れたボーイズバンドLunapop(ルナポップ)は、新人ながらアルバムチャートに初登場でベスト10入りし、その後半年かけてじわじわと順位を上げ続けて首位に上り詰め、その後13週に渡って首位をキープ。結果、1年超に渡ってヒットチャート20位以内に君臨し続けるという、エポックメイキングなセールスを記録しました。

もちろんボーイズバンド特有のノリの良さだけでなく、同アルバムからヒットチャート首位に輝く楽曲を連続で4曲も出すなど、耳の肥えたイタリアPOPSファンのお眼鏡にかなう非常に優れた楽曲を奏でていたことがヒットの要因でしたが、Lunapopブームは単なる音楽バンドの枠を超え、タレントグッズがたくさん販売されるなど、一大社会現象にまで膨らみました。

"50 special"(1999年) / Lunapop


結局Lunapopは、この大ベストセラーとなったデビューアルバム1枚で活動を休止し、ヴォーカルのCesare Cremonini(チェーザレ・クレモニーニ)のソロプロジェクトに移行して行く事となりました。彼はバンドの顔となるヴォーカリストであっただけでなく、一番の人気者でもあり、何よりも、長らくクラシックピアノ教育を受けて育った優れたコンポーザーであったので、人気と実力を兼ね備えた若き逸材だったのです。

一方、イタリアを取り巻く社会・経済を見てみると、1989年にドイツのベルリンの壁が撤去され、1991年にソ連が崩壊して、東西冷戦が終結するという歴史的な分岐点を迎えました。

イタリアの政治の世界では、冷戦終結直後の1992年から始まった大規模な汚職事件捜査、及びそれに関連する既存政党の崩壊による政界再編(タンジェントポリ)が起こり、メディア王の異名を取る実業家Silvio Berlusconi(スィルヴィォ・ベルルスコーニ)が政会に進出し、その後3度に渡って首相を務めるなど、長期に渡ってイタリア国家の舵を握ることとなります。

また、冷戦終結の結果、旧東欧諸国との国交が回復した半面、旧東欧諸国から大量の移民が西側世界に流れ込み始め、今日まで続く移民問題が起こり始めます。

さらに、冷戦の緊張が解けた結果、世界の至る所で民族紛争の火種がくすぶり始める時代が始まったのも1990年代となります。

その民族紛争のうち、湾岸戦争(1991)、コソボ紛争(1999)、イラク戦争(2003)、アラブの春(2010)などの紛争地域は、イタリアのほぼ隣国と言えるほどの位置関係にあり、イタリアはNATO軍として支援するだけでなく、前線の補給基地的な位置付けともなることもあり、国民にとっても非常に身近な社会問題となりました。

イタリアPOPS界でも、反戦・平和のメッセージが込められた作品が多く生まれました。

"Padre a vent'anni(20歳の父)"(2000年) / Pooh


そして1970年代のイタリアPOPS変革期を通して、イタリアPOPS界に大きな影響を与え、多くのフォロワーを生んだ2大巨頭、Lucio Battisti(ルチォ・バッティスティ/1943-1998)とFabrizio De Andre'(ファブリツィォ・デ・アンドレ/1940-1999)が2000年到来の直前に相次いで他界すると、明らかに一つの時代が終わった感が漂い、折しもキリスト教社会で根強く信じられている千年思想、世紀末思想とに結び付けられて考えられるようにもなりました。

Lucio Battisti追悼番組


Fabrizio De Andre'追悼番組


そして1970年代以降、自分で曲を書くカンタウトーレが牽引し続けて来たイタリアPOPSシーンは、いつしか熟年世代ばかりが活躍する様相を呈していましたが、2000年代に入ると、新世代の歌手たちが台頭して来ます。これはまた次回のコラムで。

Piccola RADIO-ITALIA
YoshioAntonio こと 磐佐良雄


***** 『第88回 イタリアPOPSフェスタ』開催のお知らせ(予定の内容) *****
★イタリアで最近リリースされた話題作から
日時:2012年9月22日(土) 17:15~21:30 (16:45開場)
会場:東京・JR亀戸駅 徒歩2分
定員:先着20名様
参加費:1,000円
※お申込み&詳細は以下のサイトまで。
http://piccola-radio-italia.com/


”きいてみ~よ!” 
~ イタリアPOPSのススメ 2012 ~ 第5回
2012-08-31

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