イタリア語の未翻訳書籍を紹介するコーナー(後に小社から発行となっている作品もございます) 『Infect@』 ダリオ・トナーニ / イタリアの本棚 第16回


『Infect@』 ダリオ・トナーニ / イタリアの本棚 第16回
16.Dario Tonani, Infect@ (Mondadori, 2007 [Urania 1521])

以前ここでダリオ・トナーニの『Mondo9』を扱ったが、今回は彼の出世作であり、もう一つの代表作であるSFノワール『Infect@』を取り上げる。本作以前から商業誌やファンジンに数々の短編・中編を発表して高い評価を得ていたトナーニだが、この長編作品で彼はさらなる脚光を浴びることになった。

近未来のミラノ、荒廃した地区の廃倉庫で無残な死を遂げていた2人の若いジャンキー。ある特殊なドラッグが原因らしい。捜査を行なうのは分署長モントルシ。現場から消えていた携帯電話と特別なプログラムの入ったテラディスク(容量1テラバイトの光学ディスク)。実はそれを持ち去ったのはジャンキーで元警官のクレトゥスだった(しかもモントルシの元同僚)。ディスクを偶然手に入れたクレトゥスは、今何者かに追われていた。禁断症状に苦しむクレトゥスは、友人でTVゲームのプログラマーである女性マグダに助けを求め、二人は雨のミラノを逃げ回る。テラディスクを取り戻そうと麻薬商人ダルコの手下たちが2人を追跡していたのだ。

……と、まさにノワール小説だが、実はこのドラッグは普通の麻薬ではない。これは「+toon」という名の新しい電子ドラッグで、特殊なメガネフレームと液状レンズ、+toonのプログラムの入ったディスク、光学リーダー、このセットを使って網膜に刺激を与え、強烈なカートゥーン・トリップを行なうドラッグだ(カートゥーンとは特にアメリカのアニメーション作品のことを指す)。だがそれはトリップだけにとどまらず、周囲の環境に大きな影響を及ぼす。それが「カートゥーン化」「カートゥーン汚染」と呼ばれる問題で、ジャンキーたちのトリップによって、カートゥーン作品の登場人物たちがただの幻覚ではなく、物質化し、現実世界に侵入してくるのだ(実際に物体として存在することになる)。まさしく肉化するドラック。汚染の酷い地区は廃棄されるが、そこには出現したカートゥーンたちと+toonのジャンキーたちが不法に住み着くことになる。

そんな朽ち果てた都市の迷宮をクレトゥスとマグダは逃げる。屋根の上を、建物の中を、地下を。盗んだテラディスクに入っているのは普通の+toonではなく、なにやら秘密が隠された特別なものらしい。ディスクを持って逃亡しているのが旧友クレトゥスだと気づいたモントルシは、アラブ人の部下ムシュマールとともにクレトゥスを探す。そしてダルコと通じている+toonの製作者ディ・メルビも、ディスクを取り戻そうと独自にクレトゥスを追跡する。自分の幻覚が生んだアヒルのカートゥーン(スクルージ・マクダックらしい)に導かれながら。

クレトゥスたちは、自分らを助けることのできるただ一人の友人の元へと向かう。行く先に気づいたダルコも、ディ・メルビも、モントルシもその地へ急ぐ。クレトゥスの手にしたテラディクスに入っている+toonの秘密とはいったい何なのか? それを使ってダルコは何をしようとしているのか?

カートゥーンはどこにでもいる。ミッキーマウス、ワイリー・コヨーテ、ドナルドダック、ベティ・ブープ、ポパイ等々、よく知られたカートゥーン・キャラクターたちも多数登場する。デジタル時計の文字盤の一つがカートゥーンにすりかわっていることもある。幻覚から現れたカートゥーンがどのようなものなのかは読んでいくうちに次第にわかってくるのだが(それがまた面白いのであまり詳しくは触れないでおこう)、少しだけ説明しておくと、その肉体は「腐った果物」のようにぶよぶよらしく、体内に「胎盤」として埋められているセル画を取り出せばその肉体は崩れて死んでしまう。カートゥーンは喋ることはできないが、台詞が書かれた〈チャルダ〉(元来はウエハースのような軽くて薄い板状のお菓子のこと)を無から生み出して人間とコミュニケートすることはできる。まさにコミックの「吹き出し」というわけだ。

この24時間に渡る三つ巴の逃亡・追跡劇は多面的な視点から描かれ、スリリングで面白く、多彩なアイデアに満ちている。実体化したカートゥーンと言えば映画『ロジャー・ラビット』を思い出すが、『Infect@』の世界はそれほど明るいものではない。登場人物たちの行く先々で、読者はカートゥーン汚染の広がったミラノの闇世界の実態を目の当たりにすることになる。そのカートゥーン地獄巡りとも言うべきものが本書の大きな魅力だ。20メートルを越える巨大なベティ・ブープ、カートゥーンの皮膚をはがして仮面を作る職人、カートゥーン爆弾、性的使用のために密売される1932年ものの白黒ミッキーマウス……。少しずつ明かされていく肉化したカートゥーンの実情。おぞましくもどこか滑稽で可笑しく、ポップな不気味さに満ちていて楽しい。また、ほぼ毎章の冒頭で、24時間カートゥーンミュージックを流しているRadio SmackのD.J.クラッシュB.がカートゥーンの薀蓄や基礎知識、さらには本編に関わる情報を披露してくれるのも雰囲気作りに一役買っている。

「幻覚に侵食されていく現実」というモチーフはP・K・ディックを思わせるが、続編『Toxic@』(2011年)に付けられたインタビューでは、お気に入りの作家、影響を受けた作家の一人として、まさにディックが筆頭に挙げられている(ちなみにその他に挙げられているのは、J・G・バラード、リチャード・モーガン、モーリス・G・ダンテック、チャック・パラニューク、コーマック・マッカーシー)。同じインタビューの中で、著者は本書を「fantascienza pop」(SFポップ)だと位置づけている。その名に違わぬポップな傑作だ。なお本作は2005年度Urania賞の最終審査ノミネート作品の一つであり、受賞は逃したものの2007年にUraniaの一冊として刊行された。

ダリオ・トナーニ『Infect@』
Dario Tonani, Infect@
(Mondadori, 2007 [Urania 1521])
 ~ダリオ・トナーニ 『Infect@』~

イタリアの本棚 第16回
2013-09-13