『見えないものの踊り』


21.孤独


 街中というところでは、どこそこ少しばかり掘り返すだけで、お宝が出てくるもんだ。 出るといえば、小説の中の登場人物にだってお目にかかれる。が、ことのほか風変りな奴というのは、どんなにがんばっても物語の中に登場させるのは難しい。 だって、結局は信じてもらえないだろうし、読者だってそれを読んで頭を振ることになるんだ。「とんだフィクションだ」ってね。

 さて、これはジャコモというバツイチの鉄道員、ぶっきらぼうで、つっけんどん、硬い孤独の殻に閉じこもった男の話だ。
 彼との距離が近づいたのは、顔見知りになってから一年もたった後。その間僕は毎日挨拶をしていたのだが、彼の方はろくに返事もしない。せいぜい妙なくぐもった音を発しているだけだった。
 鬱陶しい野郎だ、といった感じで、自分の向かう方向へすたすたと歩いていき、僕の方なんて見向きもしない。

 それがある朝突然、ずかずかと僕のところへ近づいてきて言うんだ。「フランス語わかるか?」ひどいローマ方言だ。
 「あぁ、でもどうして?」
 「手紙なんだが、何が書いてあるか教えてくれ」
 とあるフランスの町役場から届いた手紙を訳して欲しいとのことだった。そこには、彼の遠い親類が亡くなったことが記されている。家に残されていた金銭は、ぎりぎり葬儀が行える程度のものだったようだ。洋服を数着、その他身の回りの品をいくつか箱に詰めて送ったと書かれていた。
 「金持ちになる」
 年を取ったこの男はそう言うと、礼も言わずに立ち去ろうとした。が、遠くに後退していた社会性の記憶のようなものに引き留められたのか、振り返り、鼻をならしてぼそっと言った。「ありがとよ」。それから僕たちは友人になったんだ。

 男は、人生半ばで独り身になったと語った。妻と息子は、何も告げずにカナダに夜逃げした。しかし運命により罰せられ、二人は交通事故で死んでしまった。
 旅行中の二人を乗せたバスが、百メートル以上ある橋から落っこちたのだ。
 「あいつらは落ちていきながら俺のことを考えただろう。あいつらには考える時間があったんだ」
 この男はなかなかやっかいな男で、言うこと言うことにいちいち悪意のようなものを込めずにはいられない。まったくのひとりぼっちで生きていることが、その間延びした不愉快な話し方をますますひどいものにしていた。それでも、彼の眼差しの奥底には、無邪気な澄んだ輝きが残っていて、どんなに感じが悪くてもなんだか許してしまえる。少なくとも僕にはそう思えた。

 ある日、彼は僕のところへやってきて、秘密を教えてやる、それを見せてやると言う。
 そうして、初めて彼は僕を自分の家に連れて行った。公営住宅の一階にある彼の家に。
 二つある部屋はどちらもがらくたでいっぱい。見るからにゴミ置き場から拾ってきました、といったものばかり。それがピシッときれいに並べられている。
 もはや使われなくなった物を集めた博物館といったところだ。
 窓際のサイドテーブルの上にグラスが一つ。ティーカップの受け皿で蓋がされ、電気スタンドの光で温められている。
 「アメリカではこうやって実験するんだとさ。何かで読んだんだ。ジャムの空瓶に蓋をしておいたら小さな生き物が現れたんだぜ。だから俺もグラスに必要なものを入れて待っているというわけだ」
 彼の言う「必要なもの」というのが、小麦粉大さじ一杯に牛乳大さじ二杯、砂糖を少々、それに彼の精液。そうしてジャコモはそれをランプで温めながら、子供が生まれるのを待っている。夜逃げして彼を裏切ったりしない子どもを。

 今日、彼に会ったときに聞いてみた。「どうだい? 生まれたかい?」
 頭を振ってたよ「まだ何にもでてこねぇ」ってね。


訳:田中桂子(ツイステイーけいこ)
1979年生まれ。第15回いたばし国際絵本翻訳大賞イタリア語部門大賞受賞。訳書にイーヴォ・ロザーティの絵本『水おとこのいるところ』(岩崎書店)がある。日本とイタリアのものを中心に絵本を収集中。大阪ドーナッツクラブのウェブサイトにてイタリア絵本コラム担当。


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