28.にせの実父 フランチェスコ、十八歳。ぴょんぴょんと階段を下りる。肩には本の入ったリュックサック。 彼が通ると踊り場と手すりが揺れるから、気付かないわけにはいかない。毎朝八時十分きっかりが登校時間だ。


『見えないものの踊り』


28.にせの実父


 フランチェスコ、十八歳。ぴょんぴょんと階段を下りる。肩には本の入ったリュックサック。
 彼が通ると踊り場と手すりが揺れるから、気付かないわけにはいかない。毎朝八時十分きっかりが登校時間だ。

 芸術高校の最終学年。学校へ行くのは教養を身につけるためではなくて、卒業証書を手に入れるためなのだとか。あれがないと世の中渡っていけないから。「学校のためには勉強して、人生のためには学ぶんだ」。
 彼曰く、「このふたつは違うっていうか、ほとんど真逆なんだよね。勉強は記憶という名の花瓶に入った切り花に似てる。水を足しても入れ替えても、結局しおれてしまうじゃない。一方で、学ぶというのは何かを知りたいっていう自然な欲求に対する回答なんだ。だから何かを学ぶというのは、義務や強制のなかから出てくるものではなくて、地面に放り投げられた種みたいなもの。後で発芽して、育って、実をつけて、季節がめぐると新しくなる。文化と命のサイクルの中での自分の役割を果たしながらね。だから、学ぶことは貴重な喜びなんだ。勉強はよくプレッシャーとか、不安とか、病気の原因になるでしょう」

 フランチェスコと僕は友達だ。両親には話せない夢や考えでも、僕には打ち明けてくれる。
 「両親は理解してくれないと思う。毎日しなくちゃいけないことに支配されて時間がないから。彼らが望むのはただひとつ、ぼくが彼らみたいになること。ぼくがぼく自身であろうとするたびにムッとするみたい」

 僕らはしばしばこんな謎について語り合って時を過ごした。父親と息子が、単純で自然な関係を築くことができない気がするのはどうしてだろう。父親でない男と息子でない男との間では簡単なのに。

 「フランチェスコ、僕に話しているのと同じことを、時にはお父さんにそっくり話してみたらどうだい?」
 「無理だよ。両親の記憶には僕のすべての年齢の思い出が入ってる。よちよち歩きの頃、何をやっても人生初めてだった頃、思春期の不確かさに今現在の不安。両親がこういうことを全部忘れて、君みたいにぼくを見る必要があるんだ。単純にありのままのぼくをね」
 「こういうのはどう? おとぎ話みたいだけど。ふたりに暴露話をするんだ。インターネットでセンセーショナルな事実を知ってしまったって。君が実はカラブリア州出身のカップルの息子で、ゆりかごにいる時に今の両親の本当の息子と取り違えられたんだと。なんならもっと細かいところまでつっこんでもいいよね。君と同い年のその息子は、今ニューヨークにいて英語しか話せないらしい、とかさ」
 フランチェスコは、実行に移した。とても利口に。

 今では毎日大通りを歩いているのが見える。父親と話すのに夢中だ。
 彼らはまるで同じ道を喜んで走る友達のようだ。


訳:あかりきなこ
大阪外国語大学イタリア語学科卒業。2010年、大阪ドーナッツクラブに加入。イタリア語に魅せられた和風テイスト。イタリアと日本の文化を比較・発見、発信することで人間味のあるライフスタイルを模索中。気になる言葉:手作りパスタ、リラクゼーション、自然、色、現代事情。