32.とさか 「お願い、すぐに私のうちに来て」 玄関のドアの下に、こんなメモを見つけた。それは四階に住んでいる未亡人からだった。


『見えないものの踊り』


32.とさか


 「お願い、すぐに私のうちに来て」
 玄関のドアの下に、こんなメモを見つけた。それは四階に住んでいる未亡人からだった。
 僕は急いで階段を駆け下りた。日曜の午後のことだ。
 彼女の玄関を開けると、お通夜みたいにおぼろげな薄明かりを切り裂いて、耳障りなロックの爆音が飛び出してきた。
 未亡人は目を赤く泣きはらしていたが、僕の姿を見てほっとしたのか、笑みをこぼした。
 彼女に導かれるまま、僕は後についていった。するとドアが薄く開いていて、その向こうに彼女の息子がいる。彼はベッドに腰掛けて音楽に没頭していた。おそらくそれが食事と同じくらいに染み付いた、いつもの彼の習慣なのだろう。たしかに一見、ご飯を食べているように見えなくもない。
 頭を上へ振り下へ振り、一定の動きを繰り返しているのだ。
 とはいえ、特に問題があるようには思えない。すると未亡人がせわしなく手を頭にやって、息子の頭を見るよう促した。そこでようやく僕は気づいた。彼は頭頂部だけを残し頭をつるつるに剃り上げ、前髪を房にして一条に固めていた。それはまるで兜のようだった。つまりジェルで固めた髪が、兜の飾り房のように見えるのだ。なにか新種の動物のとさかのようだった、と言ってもいいかもしれない。

 未亡人は両の手のひらで目を覆った。
 「あの子、一ヶ月間家から外に出られないの。こないだの晩、友達と壁に落書きしてて捕まったのよ。あなた、あの子と話してみてくれない? 私には理解できないの」
 そう言うと彼女はやにわに部屋に押し入って、音楽のボリュームをごく小さくまで絞った。
 少年は弾かれたように頭を上げ、何をか言わんとしたが、僕を見るや身を隠すようにし、低い声を漏らした。
 「何か用?」
 こんなことを言うのもなんだが、僕は彼からの信頼は篤かった。なぜなら僕は彼が小さい頃からずっと話を聞いてやってきたし、できる限り遊ぶことを勧めたし、あの子が物心ついた時にはいなかった父親の代わりをささやかながら務めてきたくらいなのだ。
 僕は彼女に我々を二人だけにしてもらった。彼は僕にイスを出し、音楽を消した。僕は尋ねた。
 「何があったのか話してくれないか」
 パンクな見た目とは裏腹に敏感なのだろう、彼のとんがったとさかが一瞬ピクッと波打った。
 「俺が地下鉄の入り口のところに絵を描いてたら、あいつら、つっかかってきやがったんだ」
 「町の壁に落書きなんかして、どうするつもりだったんだい?」
 「何とかして人は溜まったものをぶちまけないといけないだろ。俺たち子供は何も持ってないし、そもそも生き方ってやつがまずわからないんだ。毎日何かにお金を払って、時には罰金まで払ったり、自分自身の尻拭いをするために年中働いたりとかそういうやつさ。何のためにとか誰のためにとかもわからないままね。
 誰も理解してくれなかったけど、なんだか絵を描くことで、やっと俺たちも俺たち自身のことを語れた気がしたんだ。ここは俺たちの場所だってみんなにわからせてやれるし、ちょっとくらい離れててもそれがわかるしね」
 「今は何を?」
 「裁判で有罪になったんだよ。で、頭を丸坊主にするか、一ヶ月外出禁止っていう罰を受けたんだ」
 「どうするつもりだい?」
 彼は頭のとさかに手をやった。
 「どっちもごめんだね。こうなりゃ金輪際、外になんか出てやるもんか」
 僕は彼の完璧に剃り上げたつるつるの後頭部をそっと撫でた。
 彼はベッドの下から引っ張り出してきて、何枚かの絵を見せてくれた。
 「なんでそんなところにしまってたんだい?」
 「誰もこんなの見たくないんだってさ」

 そこにあったのはすべて、とてつもない絵ばかりだった。
 例えばそのうちのひとつはこんな感じだ。
 頭をとさかにしたパンクな少年たちが何人も、青い空に宙ぶらりんになっている。右の方には女の子がいて、スプレーで大空の真ん中にこう書いている。―「さよなら」そこに描かれた若者たちは、まるで輪になって空を飛んでいるかのようだった。秋のムクドリのように、遠い社会を目指して。


訳:有北雅彦(有北クルーラー)
脚本家、役者。ODCでは演劇・字幕翻訳などに携わる他、コントユニット「かのうとおっさん」としても、演劇・コント・ラジオ等のフィールドで幅広く活動。イタリアの小噺「バルゼッレッタ」を独自の解釈で日本に紹介するプロジェクトを展開中。