『見えないものの踊り』


39.路上の哲学者


 とある界隈にひとりの哲学者がいる。男には髭はない。物々しい表情はせず、笑顔を絶やさない。この三点、哲学者にしてはめずらしい特徴だ。

 この男、人と話し込んでいるところをよく見かける。
 熱心に人間観察をしながら、散策をしていることも多い。視線を落とし、いそいそと目の前を通り過ぎていく人々。どんな急ぎの用があるのか、目に見えぬ川の流れに身を任せるかのように、何かに急き立てられ、足早に歩いてゆく人々を、男は見つめている。
 歩行者の流れは、増水した川の水のように男の前で二股に分かれて流れ、じっと突っ立って観察を続ける男の周りには、ぽっかりと誰もいない空間ができあがってゆく。

 ずいぶん前からこの哲学者はあることを主張している。人間はみな、余すところなく誰もが、「傑作」である。しかし、力あるものたちは、原石の中にあるその素晴らしい価値に気づきもしない。そうして、仕事の重圧に耐え、感情までも外から押し付けられ、不安でがんじがらめの人間へと変えてしまう。会計士や工員、レジ係、亭主、軍人、教皇に芸術家。要するに、自分自身ではないモノ、「人間に備わる唯一無二の神聖なもの」ではない、何がしかのモノにしてしまうのだ。そうして人々は損なわれてゆく。
 「それは、カラヴァッジョやレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を、その価値を知らずに、カプチーノを出すトレイとして使ってしまうようなものなんだ」
 哲学者はその驚きをこう表現する。彼にしてみれば、自分自身が素晴らしい傑作であるということに気づかなければ、己のことと他人のことを十分に理解している、なんていう人物にはなり難いというわけだ。

 男は粘り強く、このことを繰り返し繰り返し、皆に話してまわる。
 話し込んでいる男のそばを通りかかれば聞こえてくる。
 「ご婦人、忘れてはなりませんよ。人間である、有機物体であるという、ただそれだけで、あなたは、完全な傑作なのです…」
 「青年よ、君が、自分が何ものであるかに気づいているなら、つまり、自分が万物の最高傑作で、これまでも、そしてこれからも唯一無二の存在である、ということに気づいているなら、無限の愛情で自らを労わるはずだ。いや、そればかりか、妙なことをしようだなんて思いもしないさ、たとえばタバコを吸うだとか…」

 昨日、この哲学者と実際に面と向かって話すチャンスがやってきた。そこで聞いてみたんだ。
 「ちょっとお尋ねしてもいいですか? あらゆる時代の哲学者たちが、頭を悩ませた問題なんですが」
 「もちろん、聞きましょう」
 「神は存在しますか」
 男は静かにしばし僕を見つめた。そしてささやくように、しかし、はっきりとした口調で、迷いなく答えた。
 「まだだよ」


訳:田中桂子(ツイステイーけいこ)
1979年生まれ。第15回いたばし国際絵本翻訳大賞イタリア語部門大賞受賞。訳書にイーヴォ・ロザーティの絵本『水おとこのいるところ』(岩崎書店)がある。日本とイタリアのものを中心に絵本を収集中。大阪ドーナッツクラブのウェブサイトにてイタリア絵本コラム担当。


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