『見えないものの踊り』


61.昼食を一緒に


 あれは確か、年も押し迫ったころのことだったと思う。その時の不思議な話をしよう。

 ある居酒屋オーナーの姪にあたるノラは、その界隈の中心地にあるぼろ屋に住んでいる。父親から相続したその家は、悪質な建築業者が狙っていたものだった。彼らは二束三文でそこを買い取って更地にし、どこにでもあるようなマンションを建てようとしていた。そういう経緯もあり、彼女は、生きている限りはそいつらに渡さない、という条件で家を譲り受けていた。
 誠実なノラは家を手放さなかった。一人息子が二十九歳という若さで交通事故に遭い、彼女を一人残してこの世を去ってしまった時、業者は彼女の寂しさにつけこんできた。それでも彼女は折れなかった。

 ある日僕は、玄関先で買い物カートを持ち上げようとしている彼女を見かけた。
 カートを運び込む手伝いをした僕は、その時初めてその小さな家に入ることになった。

 アンティークな瓦屋根に煙の出る煙突、色とりどりの花が咲く庭。超モダンな建造物に挑むかのように佇む、遠き時代の忘れ形見。正直に打ち明けてしまえば、この家の中を見てみたいと、僕はずいぶん前から思っていたんだ。
 周りにあるのは縦横に箱を並べただけのビルディング。それは幾何学的な造りがこれ見よがしで、威圧的なまでに大きい。彼女の家が湛える調和のとれた繊細な詩情は、この合理性の権化というべきものに囲まれて、異様な響きを発していた。
 とにもかくにも、家の中へ。情緒あふれる調度品が僕の目に飛び込んでくる。外観のイメージ通りだ。十九世紀末の食器棚はうっとりするほど美しく、テーブルセットの椅子はしっかりとしていてよく磨かれている。暖炉には炎が揺らめき、家具や壁に命を吹き込んでいるかのようだった。
 ノラは僕にコーヒーを勧めながらも、バタバタと食卓にカトラリーを並べ始めた。
 「誰かお客でもあるのかい、ノラ?」
 「息子だよ」
 「息子って、ガブリエーレは六年前に亡くなったじゃないか」
 「そうだよ、わかってる、息子は死んでしまった。でも私はね、あの時から毎日あの子と一緒に食事をしてるんだ。そんな目で見ないでおくれ。ガブリエーレはもういない、それはよくわかってる。でもね、理屈じゃないんだよ。あの子が好きだったものを用意して、一緒に食べる。静かにね。すると私は、あの子のぬくもりを感じるんだ」
 そう言うと彼女は花瓶から花を二輪取り出し、茎を切り、水気をぬぐった。そして息子のために用意した皿の前に置いた。
 「あんたからみたら信じられないことだろうさ。でもね、こうしていると私は嬉しくて仕方がないのさ。悲しみなんてこれっぽっちも感じてやしない。むしろ私たちの関係はより親密になっているくらいさ。だからね、そんなことありっこないんだけど、もし今日ここにガブリエーレ本人が本当にやってきたとしても、たぶん、私はどこかしっくりこないと思うんだ。そのくらい私は強くあの子の存在を感じてる。
 一緒にご飯を食べていくかい? 今日はズッキーニのリゾットだ。ガブリエーレはこれが本当に大好物なんだよ」
 「大好物だった…」ぼそっと僕は言った。
 「ああ、そうだね。そうそう。大好物だった…」
 「夕飯も彼と一緒に食べるのかい?」
 「いいや。私は夜は一人でいるのが好きなんだ」


訳:田中桂子(ツイスティーけいこ)
1979年生まれ。第15回いたばし国際絵本翻訳大賞イタリア語部門大賞受賞。訳書にイーヴォ・ロザーティの絵本『水おとこのいるところ』(岩崎書店)がある。日本とイタリアのものを中心に絵本を収集中。大阪ドーナッツクラブのウェブサイトにてイタリア絵本コラム担当。


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