『見えないものの踊り』


77.くたびれた靴、清らかな心


 「あ、もしもし? やあ、そっちはどうだい? あのさ、今度のメーデーのためにローマまでやってきた労働者たちがいるんだけどね。彼ら、泊まるところがないって言うんだ。何か良い考えはない?」
 僕はこのマンションの住所を教え、とりあえずここにきて、それから決めたらどうかと提案した。
 夜の十時、インターフォンが鳴る。
 「トリノからやってきた者ですが…」
 「どうぞ。まあ上がりなよ」
 彼らは上がってくる。わが家の玄関がほんの少しだけ開け放してあるのはいつものとおりで、間もなく彼らはひとりまたひとりと息を切らしながら入ってくる。
 「おいおい、エレベータがあるじゃないか」
 「ついつい歩いちゃいました。あまりにぎゅうぎゅうだったもので…」
 あれよあれよという間に廊下が人であふれ出したので、僕は彼らを広間に通し、他の何人かをダイニングに案内する。それでも人の流れは引きも切らず、とどまるところを知らない。
 彼らの中には、コンサートが素晴らしかったと言う者があれば、わざわざトリノからきた甲斐があったなどと言う者もある。
 そうこうしている間に、廊下や広間やダイニングは人だらけになった。
 「いったい何人いるんだい?」
 「42人ですね」

 奇妙に思われるかもしれないけれども、僕がまず思いついたことといえば、この家のそれぞれの部屋で「何の気兼ねもなしに」くつろいではどうかと提案することだった。
 僕たちは力と呼吸を合わせて椅子や机を動かし、何とかできる限りのスペースを作る。しかも洗面所の向こう側には女性特区のような場所まで確保することができた。よし、それじゃあ新聞紙を二つ折りにして、他の部屋の床にも敷こうか。
 調和と多様性。まさにそんな時代にあって、心の震えを呼び起こすのは、ささやかながら思いやりのある振る舞いなのかもしれない。
 それぞれがそれぞれに深い敬意を持って振る舞い、トイレットへのしかるべき往来があったあとで、ようやく僕たちは床に身を横たえる。ひととおりのざわめきがあり、すぐに眠りに落ちたときの静けさがやってくる。
 すべてがうまくいったことを僕は誇らしく思った。

 僕の隣に居合わせたのは、もともとはサルデーニャ島の出身だというひとりの労働者だった。僕の顔と彼の顔は触れ合わんばかりだ。
 「彼女のニコレッタと俺は、二人でこんなことを話したんだ。つまり、新しい靴を一足買うか、あるいはローマのデモに参加するか、と。
 答えは一緒だった。そりゃローマだろ、ってね。そうしてここにやってきたんだ。くたびれた靴、清らかな心、ってやつさ。
 まあ聞いてくれ。俺たちは二人で暮しているんだ。でも近頃じゃあ、月末がくる前に給料がなくなっちまう世の中さ。それでもだ、何とかこうしてローマにやってきて、いろんな人に会うことで、力がみなぎってくるね」
 「君らは全員、労働者なのかい?」
 「労働者なんかじゃないね」と彼はサルデーニャ訛りで付け加える。「人間なんだよ、俺たちみんな。労働者としてしか生きることのできない、そういう人間なんだ」。彼は微笑んでいる。
 機知に富んだことを口にしたと彼は自覚しているのだ。ほとんど眠りに落ちそうになりながらも、彼は照れる素振りも見せることなくささやいた。
 「俺たちは風がなくとも落ちる枯れ葉。太陽の光なんぞけっして見ることはない。陽が昇り、そして沈むまで働き続ける。休みの日の両の目は疲れ果て、ついぞ開くことはない」
 彼はつぶやく。「俺が作った詩だ」

 一足の靴か、あるいはメーデーのローマに行くか、そのとき僕はあいかわらずその選択について考え続けていた。心にさざなみが広がるのを感じながら。
 すぐ隣に人間らしく生きようとする人間がいることを誇らしく思い、それから僕も眠ることにした。


訳:オールドファッション幹太
1978年、東京都八王子市生まれ。山形県大江町育ち、京都市在住。大阪外国語大学(現大阪大学)大学院学術修士。11年に及ぶ学生生活の間、二度イタリアに渡り、一度は放浪三昧、一度は映画三昧の日々を送る。修士論文では、ネオレアリズモの父チェーザレ・ザヴァッティーニの登場を再構築するも、次第に「モノとしての映画=フィルム」に関心を移す。ボローニャ大学および伝説的シネマテーク「チネテカ・ボローニャ」での遊学が決定的なきっかけとなり、帰国後、古い映画(とその復元)でメシを食う道を選び今日に至る。シルヴァーノ・アゴスティ監督の作品上映イベント(2009年~)では、台詞の聞き取りと字幕の翻訳・作成を他メンバーと共同で担当。


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