『見えないものの踊り』


80.自分の中の女


 『これが私の人生? 来る日も来る日も自分にこう問いかけては、説明できっこないところを、どうしたものかと、さ迷い歩く。
 人生は、永遠に、後にも先にもたったの一回。二度はないし、代わりもない。それがこんな監禁状態の生活だなんて。一日のほとんどの時間を、この大きな街の小さなアパートで過ごすのよ。こんなの一生牢獄に入っているも同然。看守がいないだけ。
 昨日も今日も気持ちが悪いほどそっくり。毎日毎日こんな生活。人間の存在意義ってこれっぽっちのものなの?
 
 子どもの時は、学校へ行けと言うから学校へ行ったわ。そうしたら今度は、勉強したっていうには大学くらい出てないと、なんて言う。というわけで大学にも行った。極めつけには、〝自分にふさわしい男性″を見つけないと、頼れるものが何もない独り身になっちゃうぞって。
 
 私、あれやこれやとなんとか自分を納得させた。
 で、最初に言い寄ってきた男が、そのまま〝私の人生の男″になった。どんな形であれ、結婚前に一緒に暮らすだなんて、よろしくないことだったから、そのまま結婚。
 それからの私は妻という役割に埋もれていった。そして、私が知り合ったこの男が、〝主人″になった途端に、どうしてこんなにも老け込んでしまったのか、その理解に努めた。
 もちろん、早く子どもを作ろうと二人してがんばったわ。それで、ちゃんと息子をこしらえた。
 それどころか、家族単位として社会的にも完璧にするために、娘も生んだのよ。
 
 それからの私は、〝私の人生の男″とこの二人の子どものために、自分の時間を使ってきた。幼少期、思春期、青春時代に私が経験した同じ悩みを抱えながら、子どもたちは成長していった。
 この子たちが私とは違った道を歩めるようにと、するだけのことはしたのよ。でも結局、すべては定められた運命ってやつだったみたい。
 
 ストレスや結婚生活でのゴタゴタ、自分のものだとは思えない運命を生かされているっていう居心地の悪さ。こういったものは、心の奥底にしまわれていた。だから、こうじゃない、なんていう自分の思いを堂々と口にすることはできなかった。
 そうして、私と〝私の人生の男″は、本当のところを何ひとつ言い合えないまま、喧嘩をしはじめた。そしてその喧嘩が、結婚生活におけるたった一つの真っ当な変化だった…』
 
 震える女性の手が、そっと僕の手からその紙を取り去る。
 「すみません。これ、私のなんです。郵便物を取りに行ったとき、なくしてしまって」
 誰もいないマンションの玄関口。五階に住むその女性と僕は、きまり悪く互いを見る。
 僕は言い訳するようにつぶやく。「落ちていたんです。それで」
 女は自らの秘密を知る、たった一人の男性を見つめる。その頬は真っ赤に染まっていた。


訳:田中桂子(ツィステイーけいこ)
1979年生まれ。第15回いたばし国際絵本翻訳大賞イタリア語部門大賞受賞。訳書にイーヴォ・ロザーティの絵本『水おとこのいるところ』(岩崎書店)がある。日本とイタリアのものを中心に絵本を収集中。大阪ドーナッツクラブのウェブサイトにてイタリア絵本コラム担当。


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