『見えないものの踊り』


87.らくだ


 一九七〇年代、あの時期が彼の運命を決した。
 レオナルドは、ゆらりゆらりした不規則な歩き方がヒトコブラクダみたいなところから、「キャメル」と呼ばれている。

 まわりの住民はみないきさつを知っていて、彼に優しい。
 学校時代の遠足で、からかい半分に友人たちからうながされ、危ないクスリをいろいろ混ぜたものを飲んだのだ。そして文字通り彼の脳みそはヤラれた。
 あれ以来、らくだのレオナルドは、街のゴミ箱をかき分け探し物をしながら暮らしている。興味を引かれたあらゆるものを、試し、評価し、あげく家へ持って帰る。家は三部屋とキッチンからなるマンションで、銀行の取締役である父親が彼を永遠に遠ざけようと与えたものだ。僕が見たことあるのは玄関だけ。何せ部屋という部屋が物であふれかえっているから。おかげで「キャメル」は家に入れなくなって、ついには小さな部屋を近所に借りなくちゃならなくなった。

 意外に思われるかもしれないが、こんないわくつきの人物でも、この界隈では生来のセラピストとして通っていて、その活躍は目覚ましい。ちょうど昨日も、前触れもなくうつに陥り、生きることに興味がなくなったと打ち明ける古物商の男とのやり取りを目の当たりにしたところだ。

 うつから抜け出すには、誰もが忘れがちな、我々という存在がどれほどすばらしいものなのかを再確認すること。それが「キャメル」のアドバイスだった。たとえば、目が見えない五分間を「自分にプレゼントする」。なおかつ、視力を完全に奪われた状態のままで近所をうろうろしてみる。「五分たったらあ…」らくだのレオナルドはアドバイスを続けた。「また目を開けてえ、周りの世界が『見える!』っていう、ものすごい気持ちを感じるんだよ。また世界が見える!って気持ちは、どんなうつもふっとばすからあ」
 僕は感動のようなものを覚えた。
 のび放題のぼさぼさ髪で、ユダヤ教の指導者ラビみたいな長いひげをたくわえたこの奇妙な人物は、ジェスチャーを交えながらうつの人を微笑ませようとしているのだ。

 「それでもまだ足りなかったら身動きできない五分間をプレゼントしなよ。そうだなあ、特に一日のうちでも忙しい時がいいなあ。電話が鳴っても出られない。だって君は身体が完全に麻痺してるんだもん。ずっと待ってたガールフレンドが来てドアをノックする。けど開けに行けない。動けないから、トイレもおもらしすることになっちゃう。
 五分過ごしたら空中で手が動いてるすばらしさに気付いてえ、きみは、あ・る・く。わかる? あーるーけーるーんだよお!」

 「らくだ」の秘めたる賢さ。
 古物商は笑みを浮かべた。


訳:あかりきなこ 大阪外国語大学イタリア語学科卒業。2010年、大阪ドーナッツクラブに加入。イタリア語に魅せられた和風テイスト。イタリアと日本の文化を比較・発見、発信することで人間味のあるライフスタイルを模索中。気になる言葉:手作りパスタ、リラクゼーション、自然、色、現代事情。

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