ジーナは自分の居住空間を温室のようにしつらえていた。わたしは花瓶を落とさないように歩く方法を知らなかった。配給のチョコレートを勧めてくれたが、わたしは遠慮した。甘いものが好きではなかったからだ。 バルコニーでタバコを吸ってもいいと言われ、わたしは喜んだ。そのバルコニーというのは、他の部屋と同じく施設の内側に面しており、そこは海に落ちていくような円錐形の空間になっている。 確かに景色が見わたせるようなテラスではない。バルコニーの半分はエアコンの室外機が占めている。残りの半分には錆びた椅子が置かれている。 ときどき、バルコニーからその円錐形の空間に飛び降りる者がいた。すると〝称賛すべきジャクソン同志〟は怒りを露わにする。なぜなら、死体はいつも蒸発塔の補水ポンプに吸い込まれ、そのせいで空調が止まり、ⅠTサーバーの熱電リレーが作動してしまうからだ。 「嵐が過ぎ去ると、空の色はもっと鮮やかになるんだ。知ってたかい?」とジーナに言った。 ああ愛しいジーナ、見事な胸と、アクアマリンの輝く瞳。 ジーナは絵を描いていたが、手を止め、古風な純真さと、古風な艶めかしさを漂わせ、うなずきながらわたしに微笑む。そして、スピーカーから流れてくるロキシー・ミュージックの『モア・ザン・ディス』を口ずさみながら再び筆を動かし始めた。 わたしはタバコで煙の輪をつくりながら、彼女を見つめ続ける。 シルバーの髪を束ね、ウールのセーターを着て、黒のロングスカートを穿いている。六十九歳になっても美しい。若いころはさぞかしもっと美しかったのだろう。八十年代風のふんわりとしたブロンドヘアに、グラビアの表紙を飾るようなピンナップガールで、男たちの欲情をかき立てる。そんな風に。 しかし、彼女はそんな生まれもった資質を十分に活かすことができなかった、いや、その気がなかったのかもしれない。ほんの少しでもその気があれば、カリブ海の沖合に浮かぶマルクス主義国家の老人ホームなんかで働くことはなかったろう。今ごろはパリで、グリーン市民たちのなかで、グリーン市民として完全に溶け込み、〝衰退過程エントロピー〟とは無縁の支配的アルファ女性になっていただろう。そして、国家承認のコカインを吸い、流行の先端を生き、〝個人の権利〟が最大限に尊重される快楽主義体制におけるサロンのマダムにでもなっていただろう。 しかし、これはカルマの問題なのだ。チャンスを活かせなければ、惨めな人生が待っているだけだ。 カルマは与え、そして奪う。 そのなかでジーナは? どんな行動を取った? ただひたすら描き続けた。 カルマが何も与えてくれないなら、カルマなんてクソ食らえだ。 わたしは五十メートル下を見おろした。タバコの吸い殻を拾って、下に投げ捨てる。ジーナには……、あとどのくらい残されているのだろう? 年金生活が四年送れる、そんなところだろう。 彼女の運命は決まっていた。わたしと同じように。そして、それは彼女にとって重要なことではない。それもわたしと同じように。 しかし、わたしと違うところは、彼女は無関心であることだ。それはわたしには理解できないことだった。 ジーナは再びこちらを向いた。一方の手に筆を、もう片方の手に絵の具のパレットを持ちながら、相変わらずわたしに微笑みかけている。 激しく抱きしめたかった。痛くなるほど激しく。あるいは殴りつけて、海に突き落としてやると脅して、彼女が叫ぶのを聞きたかった。そうやって、あのミステリアスな、どこか現実離れした沈黙の殻をぶち壊し、彼女を現実へ引き戻したい、そんな衝動に駆られていた。「死ぬのが怖いわ、お願い抱いて!」と言わせたかった。 しかし、わたしはそこに立ち尽くし、彼女を見つめ、その謎に想いを馳せる。その乳房にも。
Rinaldi Cremisi (続く)
訳:高野 由美(たかの ゆみ / Yumi Takano)