『紅の行列』(短編) ルイジ・リナルディ短編集より_『紅の行列』


くれないの行列』


水曜日

 ハバナを出発したエールフランスの輸送機が、カリブ各地の施設から乗ってきた何百人もの〝レッド市民〟たちとともに、わたしをシャルル・ド・ゴール空港へ送り届けた。  到着すると、そこには旗が掲げられていた。欧州連邦へようこそ。ここでは幸福であることは権利ではなく義務である。  わたしたちを出迎えてくれたのは、てきぱきした看護師と有能な陸軍のカウンセラーだ。わたしたちの多くは、恐怖のあまりズボンを濡らしてしまっていた。  わたしたちは特別な場所で、儀式用の礼服を着せられた。それは深い赤色で、バイオマスプラスチック製で燃やすことができる素材だった。わたしたちの新たな、そして後戻りできない市民階級を象徴している。痛みのない注射を撃たれ、できる限り快適でいられるような処置を施されたあと、哀れみをもって高炉で焼却される準備が整えられていた。  欧州にわたしたちの居場所はない。連邦は、資源の枯渇や環境破壊、人口過多によって荒廃した世界となり果て、自国民の幸福を保証するために、労働の最適化と無駄の削減を求めていた。そしてわたしたちのような、もはや年金もない老人は、無用な人材で、ただの穀潰ごくつぶし、時代遅れの役立たずにすぎなかった。もし役割というものがあったとしても、それは国境で順番を待ち、入国を切望している若くて熱意ある連中に、あっさりと持っていかれるのだ。  カウンセラーのなかで、このことをはっきりと言う者はいなかった。  わたしたちは、〝許可〟〝排除〟〝参加〟〝親和性〟〝物質〟〝衰退過程エントロピー〟だのといった、政治的に正しい言葉の羅列にうんざりさせられた。わたしたちが〝役立たず〟だったと言うべきではない。わたしたちは〝役目を終えた〟のだ。わたしたちがされることは、決して〝殺人〟ではない。それは〝通り道〟なのだ。  わたしたちは理解しなければいけなかった。それが重要なことだ。受け入れるしかない。笑みを浮かべて死ぬのだ。  なぜなら、わたしたちは参加したのだから、と彼らは言う。  わたしたちは入国手続きを済ませた。  〝変革〟まえに、この空港には何度か来たことがあったが、見覚えのあるものはなかった。  わたしは振り返った。本当に果てしなく続く長い列だった。真っ赤な行列が、警察に護送されながら、定められた道を通って安楽死センターへと向かっている。  みな、興味とどこか病的な好奇心をもって通り過ぎるわたしたちを眺めている。欧州で、これほど多くの老人が集まっているのを見ることはこれまでなかったろうし、その上、わたしたちは新たな身分を示す制服まで着ていたのだから。多くの人がわたしたちと一緒に自撮りをしていた。〝新人類〟にとっては、死に対するタブーなどとっくの昔になくなっていたのだ。  背後で口論が聞えた。わたしたちのだれかが、警官と言い争っている。  それから侮辱的な言葉も聞えた。「でもよ、両手でしっかりおれのをしごいてくれよ!」  そしてそれから、げらげら笑い出す。  聞き覚えのある声だった。わたしは振り返った。そのグループのなかに、施設にいたアイルランド人たちがいた。  「きみたちもここにいるのか?」とわたしは微笑みながら言った。  そのうちのひとりは、一度会った程度の男だったが、微笑んだ。「みんなここにいるぜ!」  なぜなのか自分でもわからない。おそらく、あの目つきのせいだったのかもしれない。さっきの下品なひと言のせいだったのかもしれない。それら全部ひっくるめてだ。あるいはもっと別の何か――もっと曖昧で、潜在意識のなかでかすかに捉えられたものだったのかもしれない。  わたしは笑いが止まらなくなった。それと涙も。  そして信じられないことが起こった。  深紅の行列――百人を優に超える老人たちから成る赤い列、その全員がどっと笑い出した。  わたしのように。わたしよりももっと。止むことなく。  目には涙が溜まっていたが、それでも見えた。そう、本当によく見えた!  そしてわたしは、ほかの者たちを見た。警官、若者、健康な者、義務づけられた幸福に浸っている情けない享楽主義者たち、限界も老人もいない社会を唱える理論家、グリーン市民たち、〝変革〟の崇拝者たち、そして時間や静寂、〝衰退過程エントロピー〟や死を恐れる者たちを。  彼らは黙ったまま、口をぽかんと開けて、わたしたちが通り過ぎていくのを、笑いながら通り過ぎていくのを、眺めていた。わたしたちでなければ、わたしたちがいなければ、その理由を、ほんのわずかでも示すことはできなかっただろう。

Rinaldi Cremisi
(おわり)

訳:高野 由美(たかの ゆみ / Yumi Takano)