『禁句』(短編) ルイジ・リナルディ短編集より_『禁句』


『再試験』



 冬期の再試験を受ける各生徒をピックアップするのは、青色のバスだ。地区の全高校の生徒を、全員、同じ日に。
 歩道の待ち合わせ場所でバスを待つ間、トニーは、寒くて、手をこすり合わせる。他に、一年生の少年が待っている。母親も一緒だ。彼女は、そう、少年を励ましている。首にマフラーを巻いてやり、涙をこらえて、自分の不安が息子の負担にならないようにしている。
 その母親が、責めるような眼でトニーを見る。すべて彼のせいであるかのように。
 瞬間、彼は自分の母親を思い浮かべる。縫い糸を歯で引きちぎりながら、テレビに見入っている姿を。妹のハインは、窓から、カーテンに隠れて、こっちをじっと見ているかもしれない。けれど、自分の推測が当たっているか確かめるために見上げることは、あえてしない。
 足元に目を落とし、頭の中で、この一カ月、限界を超えるほど苦労して勉強した事柄の復習を試みる。けれど、頭の中には、巨大な黒いボールみたいなのがあるだけだ。
 青いバスが着く。時間どおりだ。バスの窓越しに、他の生徒たちの、彼と同じような虚ろな視線とすれちがう。
 武装した二人の兵士がバスから降りてきて、最大の山場となる午後の試合について話しながら、トニーたちの身分証バッジをチェックし、紙に何か書いている。
 トニーと少年はバスに乗り込み、最後の二つの空席、運転手のすぐ後ろに、隣同士で座る。
 青いバスが動きだす。
 窓際に座ったトニーは、少年の母親が小さくなっていくのを窓から目で追う。母親は、一瞬、バスの後ろを走って追いたかったようだが、思いなおす。
 それから、今度は、後ろに座っている生徒たちを観察するために、振り返る。
 心臓が止まる。
 彼女もいる。
 何列か後ろの左側。一つに結んだ彼女の黒髪。天使の顔に、まるで黒い宝石を二つ置いたみたいな、彼女の美しい切れ長の眼。
 胸に秘めた恋。
 前に向きなおって赤くなる。少女の姿が、なおも脳裡に浮彫のように刻まれている。
 運命を共にする少女への密かな思いは、鋭利で硬い半貴石にも似て、彼の心の中の隠された一角を占める。
 サラ。彼女はサラという名前だ。それ以外のことはほとんど知らない。
「お母さんは来られないんだ、家のことをしなくちゃいけないから」と隣の少年が言い、物思いにふける彼の気をそらす。
「きみのこと、学校や地区で何度も見たことあるよ」と付け加える。「僕はジーノ。きみは?」
 トニーは、話したくない。耳を貸さない。もう一度、振り返って、こっそりサラに見とれることができればと、それだけを望んでいる。
 ジーノは悟っている。正しく言うなら、トニーが無関心であるのを悟っている。トニーは、ジーノの瞳の中に、お馴染みのものを見つけ、そう直感する。どうやら少年は、他人の無関心に慣れているらしい。少年が咳をする。痰がからんだような咳だ。かばんから、りんごを取り出す。母親が、愛情を込めて、ビニール袋にナプキンと一緒に入れてくれたりんごを、ポケットでこすってから、かじっている。
 この少年の弱点が何なのか誰にわかるというんだろう、とトニーは思う。ここにいる誰もが、それぞれの弱点を持っていて、それを、多かれ少なかれ意識的に、まるで地下室の化け物みたいに、しまいこもうとする。
 あっち側で、おさげ髪の少女が泣いている。
 トニーは、彼女に見覚えがある。三年生の子だ。名前は思い出せない。
 大きなくしゃみ。笑い。誰かがヴァスコの歌をうたう。
『俺たちだけ』
 トニーは、サラを思い浮かべずにはいられない。彼女と自分は運命を共にすると思う。
『俺たちだけ』
 彼は、心の中で、この妄想をほろ苦く味わう。

(続く)

訳:橋本清美(はしもと きよみ / Kiyomi Hashimoto)