イタリアPOPSが世界中から注目を集めるきっかけとなったのは、Domenico Modugno(ドメニコ・モドゥーニ)の"Nel blu dipinto di blu(青の中に描いた青/邦題:ヴォラーレ)"(1958)で間違いないでしょう。 同年のサンレモ音楽祭で優勝だけでなく、アメリカで同年のグラミー賞を獲得してしまったのですから。 そして英語のSinger-songwriterという言葉の発生以前に、イタリアではこのDomenico Modugnoの出現に際し、 Cantante(カンタンテ/歌手)とAutore(アウトーレ/作者)を合体させたCantautore(カンタウトーレ/自作自演歌手)という造語を誕生させたと言われています。 やがて1960年代の後半になると、次世代を担うLucio Battisti(ルチォ・バッティスティ)がシーンに登場します。 Basttistiは、まだ活動の場が無かったRock系のアーティスト達を積極的に起用した活動を行うことで多くの信奉者を生み、 一躍時代の寵児となるのです。 その後多くのBattistiフォロワーが現れ、カンタウトーレブームが到来し、驚くべきことに現在もなおその潮流が継続しています。 そしてまだ無名のBattistiの才能にいち早く注目してコラボしたのがMina(ミーナ)でした。 後に『女王』の異名を取るトップスターに上り詰めるこの大歌手に、 自身の作品を取り上げて貰う事は、次第にカンタウトーレ達の勲章のようなものになっていくことになります。 以下が、Lucio BattistiとMinaの歴史的な共演シーンです。 そしてもう一人の歴史的に重要なカンタウトーレは、Fabrizio De Andre(ファブリツィオ・デ・アンドレ)です。 De Andre は、1960年初頭から活動を始めていますが、1970年代後半からは地中海音楽のエッセンスを積極的に取り入れるようになり、次第にその存在が神格化していきます。 1998年9月にLucio Battistiが55歳の若さで逝去した僅か4カ月後にFabrizio De Andreも58歳で逝ってしまい、 この2人の偉大なカンタウトーレの訃報は、カトリック総本山のお膝元のイタリアでは世紀末現象と捉えられ、 イタリア中が深い悲しみに暮れることになりました。 こうして時代を変えたカンタウトーレ達は、現在もなお幅広い年齢層のイタリア人の心の中に生き続け、 様々な年代・音楽スタイルの人々が集まる場で、まるで共通言語のように彼らの楽曲が演奏されるシーンを目の当たりにする事があります。 2009年にイタリア中部を襲った大地震の復興支援コンサート『Amiche per l'Abruzzo(アミーケ・ペル・アブルッツォ)』の映像から、 Lucio Battistiの"Il mio canto libero(私の自由の歌)"。 イタリアを代表する女性歌手が結集した歴史的なイベントとなりました。 Piccola RADIO-ITALIA YoshioAntonio こと 磐佐良雄 ***** 今回ご紹介した曲の収録アルバム ***** ---------------- アルバム:Domenico Modugno アーティスト:Domenico Modugno ---------------- アルバム:Lucio Battisti アーティスト:Le Avventure Di Lucio Battisti E Mogol ---------------- アルバム:Mazzini canta Battisti アーティスト:Mina ---------------- アルバム:Anime salve アーティスト:Fabrizio De Andre ---------------- アルバム:Amiche per l'Abruzzo ***** 第73回 FESTA (予定の内容) ***** 1. Raphael Guarazzi:Eurovision 2位獲得! 2.サンレモ音楽祭2011から 3.イタリアで最近リリースされた話題作から 4.白熱のライブ映像 日時:2011年6月11日(土) 17:15~21:30 (16:45開場) 会場:東京・JR亀戸駅 徒歩2分 ※お申込み&詳細は以下のサイトまで。 http://piccola-radio-italia.com/ 参加者層は大学生から60歳過ぎの方まで、イタリアPOPS初心者からヘビーリスナーまで、実に幅広い方々が集まっております。お一人様でのご参加でも楽しめますよ!
”きいてみ~よ!” ~ イタリアPOPSのススメ ~ 第2回 2011-05-28