「イタリア国内でラジオを点ければ聴こえてくるが如く日本でもイタリアPOPSを普通に聴けるようにしたい」との想いを込めてイタリアのPOPSを紹介するコーナーです 03.激動の1970年代 / ~ ”きいてみ~よ!” イタリアPOPSのススメ 2012 ~ 第3回


03.激動の1970年代 / 
~ ”きいてみ~よ!” イタリアPOPSのススメ 2012 ~ 第3回
《Piccola RADIO-ITALIA(ピッコラ・ラディオ=イタリア)》

1960年代に世界を席巻したイタリアPOPSですが、1970年代に入るとその栄光に陰りが見え始めるようになります。そしてその後のイタリアのミュージックシーンを牽引するアーティストや音楽のスタイルが、大きく様変わりを遂げるようになりました。

1960年代に世界的なヒット曲の発信源と化していたサンレモ音楽祭も、1970年代に入ると、同じ曲を2組の歌手が歌い分ける『ダブルキャスト制』を1972年に廃止し、1楽曲を1アーティストが歌うことに改められ、1976年に会場をTeatro Ariston(アリストン劇場)に移すと、急速に尻つぼみになり、存続の危機を迎えることになります。

こうしてイタリアが世界のヒット曲の量産地から外れると、英語圏に大きくその主導権を明け渡す事となり、日本にもイタリアPOPSが届かなくなる時代が始まってしまいました。

この1970年代のイタリアには一体何が起きていたのでしょうか。今回のコラムではこの激動の時代とイタリアPOPSについて言及したいと思います。

遡ること1958年から1963年にかけて、敗戦国イタリアは驚異の経済発展を遂げ、『奇跡の経済』などと呼ばれるほどの発展を示し、この栄華の中で世界のイタリアPOPSの潮流を生み出したものの、1960年代後半あたりからは、政権不安定などから急激に悪化の道をたどり始めます。

これに追い打ちをかけたのが、1973年に発生した第1次オイルショック。これを乗り切れなかったイタリアは経済破綻となり、社会が乱れる状況に追い込まれます。学生運動、社会運動、マフィア台頭、テロ頻発など、ストライキの常習化など、破綻国家のイメージまで付きまとうようになります。

こうした政情不安の中で、政治や社会問題を歌うカンタウトーレが急増するのもこの頃。当時のある歌手のコメントに『今のイタリア社会では、若者たちの話題でさえ、中心は政治であり、純粋に音楽を楽しもうとする人は少ない』というものがありました。

Francesco Guccini e i Nomadi / "Atomica Cinese(中国の原爆)"
[1967年作品/映像は1979年のライヴ]


Claudio Baglioni / "Piazza del Popolo(ポポロ広場)"[1972年作品 / 映像は2009年のリメイク版]


物価や人件費の高騰は音楽業界も直撃し、1960年代に主流だった『歌手』は、作詞・作曲家やオーケストラの経費がかかるため、カンタウトーレやロックバンドのように、自分で曲を書き、自分で演奏し歌うタイプのアーティストが重宝されるきっかけとなりました。

その時代のニーズの中心人物となったのがカンタウトーレのLucio Battisti(ルーチォ・バッティスティ/1943-1998)でした。1960年代後半には、まだ活動の舞台に恵まれなかったロックミュージシャンらを積極的に自分のバックバンドに起用したことで、時代のニーズに応えると同時に、これら新興勢力の強力な後押しをする事に成功したのです。また、女王Mina(ミーナ)にその才能を認められたことも大きな転機となりました。



彼らカンタウトーレの作風は、政治的なテーマを歌わない場合でも、自分の内面を深く見つめ、往々にして難解な詩的表現を駆使した世界観の作風で、1960年代の『甘美なラヴソング』のスタイルとは明らかに異質な作品群を展開したため、日本では従来のファンを牽引できず、新たなヒットも生み出せないと判断され、日本盤レコードもほとんどリリースされませんでした。

しかしイタリアではこの時代に登場したカンタウトーレ達がその後もシーンを牽引し、現在のイタリアのPOPS界に於いても、1970年代デビューのカンタウトーレ達が第一線で活躍している構図です。

Lucio Dalla e Francesco De Gregori / Banana Republic


Antonello Venditti / Roma capoccia


Claudio Baglioni / Questo piccolo grande amore


Fabrizio De Andre' / Il pescatore


こうして、イタリアで主流のPOPSが日本に紹介されないという乖離現象が、この1970年代を機に始まり、やがてどんどんその溝が広がって行き、日本の洋楽シーンはガラパゴス化していくことになります。

一方、イタリアPOPSの流れの中の一部は、1970年代後半から形を変えて世界進出を果たして行き、1980年代に入ると、イタリア経済も復活を遂げ、また新たな時代が幕を開けるのですが・・・このテーマはまた次回。

Piccola RADIO-ITALIA
YoshioAntonio こと 磐佐良雄
『ピッコラ・ラディオ=イタリア』
http://piccola-radio-italia.com/


***** ~イタリアの音楽を、知る・聴く・観る!~『イタリア音楽&イタリアンブランチ』開催のお知らせ *****

当Piccola RADIO-ITALIA主宰のYoshioAntonioこと磐佐良雄が、日伊文化交流サロン アッティコに於いて開催する音楽イベントです。

第2回目:1970年以前のナポリカンツォーネを知ろう!
カンツォーネの魅力、歴史、時代背景について日本語で解説。その後はイタリア国家より『騎士(cavaliere)』を受勲された 歌手・青木純さん のライブをたっぷりと満喫しながらイタリアンブランチをどうぞ!
期日:2012年6月24日(日) 11:00-13:00 または 15:30-17:30
定員:20名
参加費: 5,000円 ※イタリアンブランチ&グラスワイン1杯が含まれます。

会場:日伊文化交流サロン アッティコ
東京都中央区日本橋馬喰町2-7-13 ミリナービル7階

お申込み:日伊文化交流サロン アッティコ
TEL 03-5652-3331 mailto:corso@attico.net


*****Attico 初夏の『イタリアン・パーティー』開催のお知らせ *****

当Piccola RADIO-ITALIA主宰のYoshioAntonioこと磐佐良雄が、日伊文化交流サロン アッティコのパーティに於いて、イタリアPOPSのDJ&VJを担当いたします。

思いっきりイタリア気分を満喫するために、ノリのよいイタリアンPOPSのビデオクリップを流します!食べるもよし、飲むもよし、語るもよし、踊るもよしのイタリアの初夏をイメージしたゆる~いパーティーです!

期日:2012年6月29日(金) 18:30-22:00 ※出入り時間自由
参加費: 5,000円

会場:日伊文化交流サロン アッティコ
東京都中央区日本橋馬喰町2-7-13 ミリナービル7階

お申込み:日伊文化交流サロン アッティコ
TEL 03-5652-3331 mailto:corso@attico.net


***** 『第86回 イタリアPOPSフェスタ』開催のお知らせ(予定の内容) *****
★イタリアで最近リリースされた話題作から
日時:2012年7月14日(土) 17:15~21:30 (16:45開場)
会場:東京・JR亀戸駅 徒歩2分
定員:先着20名様
参加費:無料
※お申込み&詳細は以下のサイトまで。
http://piccola-radio-italia.com/


”きいてみ~よ!” 
~ イタリアPOPSのススメ 2012 ~ 第3回
2012-06-22