マッテオとジョルジアはバールに入る。そこに置かれていたジュークボックスにジョルジアは興味を示している。 マッテオ「何か聴きたい? 好きな曲は? エルビス?サンディ・ショウ?」 ジョルジア「(手話で答える)」 マッテオ「"誰に"(a chi)って?」 ジョルジア「(手話で答える)」 マッテオ「レアーリの歌だね。探してみよう。あった。Bの3だ」 ダイヤルを回し、コインを入れる。 レコードがセットされる少しの時間、緊張感が漂う。 ― Aaa… a chi, sorridero, se non a te(誰に、微笑めばいい? 君以外の) ― a chi, se tu, tu non sei piu qui (誰に… もう君はここにいない) ― ormai, e finita, e finita fra di noi(もう何もかも終わった 終わったんだ、僕たちの恋は) ジョルジアはマッテオをじっとみつめている…… …… これは、映画『輝ける青春』(原題La Meglio Gioventu)のワンシーンだ。2003年にイタリアで公開されたこの映画は(日本公開は2005年)、1966年から2004年までのイタリアを舞台に、ニコラとマッテオという二人の兄弟を軸にした三世代に渡る家族の人生を描いている。精神病を患い入院中のジョルジアは、病院側から虐待を受けていたが、それに気づいたマッテオは彼女を連れ出し、家族の元に送り届けようと、兄を加えた三人で旅に出る。その途中に立ち寄ったバールでの会話が、冒頭のシーンである。 ジュークボックスから流れる、ファウスト・レアーリ(Fausto Leali)が独特のしわがれた声で歌い上げるこの曲、「A Chi」は、1967年の大ヒット曲だ。1967年といえば、今から40年も前。当時、日本ではグループサウンズ・ブームが起こっていて、ブルー・コメッツ「ブルーシャトウ」や、ザ・タイガース「僕のマリー」などがヒットしていた。そんな時代のイタリア語の歌。今ぼくの手元にある二枚のベスト盤のどちらにも、この曲は収録されている。元々はスタンダード曲「Hurt」のイタリア語カヴァーヴァージョンだが、これがレアーリの伸びやかな歌声に実によく合っている。 映画館の暗闇の中で、ジョルジアの印象的な瞳をみつめながら、ぼくは館内に響き渡るレアーリの歌声に大いに胸を震わされた。とてもいいシーンだ。でも、この曲が流れていた当時のイタリアを知るイタリア人たちは、きっと映画的感動だけにとどまることはなかっただろう。その歌声はスクリーンの中から現実へと染み込み、おそらくさまざまな思い出を蘇らせてくれたことだろう。この歌がテレビから、ラジオから流れていたとき、自分がどんな生活をしていたのか、きっと思い出させてくれたことだろう。 個人の記憶が、社会の記憶、時代の記憶に交錯する。そんな場所でぼくたちは生きている。気づけばそこには、いつでも歌が流れていた。ふと足を止めて耳を傾けるだけで、ただの音が音楽になり、記憶の中に染み渡り、いつしか思い出の歌となる。誰でもそんな歌の一つや二つはあるだろう。歌との大切な出会いは、そんなちょっとしたことから起こるはずだ。 今ではもうジュークボックスはないけれども、歌が消えてなくなるはずもなく、人がいる限り、歌は歌い継がれていく。1944年生まれのファウスト・レアーリは60歳を越え、ベテランシンガーとして今もなお歌い続けている。冒頭の二人は、その後それぞれの人生を歩み始める。その節々にきっと歌は流れているだろうし、「A CHI」もそんな歌の一つになっただろう。二人にはどんなことが待ち受けているのか、それについては、ぜひ映画を観てほしい。6時間以上もある映画で、冒頭のシーンなどほんの序盤にすぎないが、40年の歳月を描くにはそれだけじゃとても足りない、とても短く感じられる映画だ。 ちょっと足を踏み出せば、イタリア語の歌はぼくたちをきっと待っている。日本にいたって大丈夫だし、イタリア語を知らなくても大丈夫だ。縁もゆかりもなかった歌が、何気ないきっかけで、思い出深い曲になることだってきっとある。思い出の歌の中にイタリア語の歌が入っているなんて、素敵なことかもしれない。これから、12回続く予定のこのコラムで、そのちょっとしたお手伝いをしたいと思う。もし、それがうまくできたなら、とてもうれしく思う。
【DVD『輝ける青春』ジェネオン エンタテインメント(GNBF-1112)】
【「A Chi」は、Fausto Lealiの数多く出ているベスト盤にはたいてい入っている。これは今手元にあるベスト盤。最近また新しいベスト盤が出たようだ(「BEST PLATINUM COLLECTION」[2007])。】
イタリア音楽コラム ~ イタリア語の歌を聴いてみませんか? ~ 第1回 2008-04-16