世界3大テノールの1人とされていたルチアーノ・パバロッティ氏が2007年に亡くなった。 つい先日、トリノ五輪開会式での「誰も寝てはならぬ」の歌唱は録音による口パクであり、病気を考慮して実際には声を出していなかったという報道があった。 それを耳にしたとき、あのような大舞台で、どれほど思い切り声を出して気持ちよく歌いたかったことだろう、と思ってしまった。 イタリアの歌にはちょっとした思い出がある。中学生のとき、音楽の授業で歌の試験があったのだが、その際にぼくはナポリターナの名曲「サンタ・ルチア」を歌った。 何曲かの課題曲から選ぶのだけれど、ぼくはその曲にした。 なぜかといえば、単純にかっこよかったし、きちんと歌えたら気持ちいいだろうなあと思った。 でもそれが裏目に出て、一番盛り上がる最後のサビの部分で、高音が全然出なくて、しかも声が思い切りひっくり返ってしまった。 練習のときはうまく歌えていた(と思っていた)のだけれど。歌いやすそうな「夏の思い出」にしておけばよかったとつくづく後悔した。 たぶんこれが、ぼくが最初に「カンツォーネ」に触れたときなのだと思う。 歌ったのは日本語訳詞のものだったけれど、遠く海の彼方に、この歌のような、こことは違う海が広がり、こことは違う光が降り注ぐ、陽気な異国があるんだ、ステレオタイプだけれどそんなイメージが頭に浮かんだ。 もう何十年も経っているというのに、ステファノ「ザ・ベスト・オブ・ナポリタン・ソング」に収録されているこの曲を聴いていると、そんな記憶が蘇ってくる。 日本では、「カンツォーネ」や「イタリア民謡」という言葉は、それほど区別して使われない。 「イタリア民謡集」と題されているCDの大半は、ナポリ民謡集である。 いや、民謡といえるほどの歴史を持たず、19世紀から20世紀にかけて作られたものも多い。 例えば、「フニクリ・フニクラ」が、ヴェスヴィオ火山の登山電車のために作られたCMソングというのは有名な話である。 そもそもcanzoneという言葉は「歌」を意味しているわけであり、イタリアの歌も日本の歌も、全部canzoneだ。 しかし、カンツォーネにせよ、シャンソンにせよ、リートにせよ、日本人にとっては、ある独特のフィルターを通して受け取った、その国の強烈な印象を体現する歌のことを指しているのだと思う。 カンツォーネと言えばこんな感じの歌、シャンソンと言えばこんな感じの歌、何かぼんやりとしたイメージが沸いてくると思う。 ステファノのこのCDジャケットなどまさに、昔ぼくがイタリアの歌に対して持っていたイメージそのものだ(下の画像を参照のこと)。 インターネットなどなかった時代、海の向こうの見知らぬ国への憧れが(そして思い込みも)、「カンツォーネ」という言葉にも込められている。 そもそも中学校の教科書にも載っていたわけだから、日本でもイタリアの歌が流行する下地はあるはずだ。そんな思いで、今ぼくはこのコラムを書いている。 でも実は、歴史的に見てもそれにはちゃんと根拠がある。実は、日本でもイタリア語の歌が流行っていた時代があったのだ。 ぼくは直接経験はしていないけれど、1960年代には、今では考えられないほどカンツォーネが大流行していたと聞く。 ここでの「カンツォーネ」はイタリアの歌謡曲というような意味であり、そのブームは1959年のミーナ「月影のナポリ」(Tintarella di luna)から始まったと言われている。 この曲は、当時のロカビリーブームに乗って、日本でも大ヒットした。 レコードが続々と発売され、イタリアの歌手たちの来日が相次いだ。 また日本語の訳詩も作られ、多くの曲が日本人歌手によってカヴァーされた。 カンツォーネ集といったタイトルのCDには大抵、その頃のヒット曲が収められている。 そうした曲の中で、もしかすると今現在一番知られているのは、ジリオラ・チンクエッティ「雨」(La Pioggia)かもしれない。 この曲は、何十年もの時を経て、2002年のトヨタVitzのCMで使用されたので、耳にしたことのある人も多いと思う。 チンクエッティは、「夢見る想い」(Non no l'et?)など、可憐なイメージの曲を歌い、当時アイドルとして人気を博した。 二曲とも、とてもいい曲なのでぜひ聴いてみてほしい。 カンツォーネブームも過去のものとなり、今ではイタリア語の歌といえば、一部の熱心なファンが聴くものとなっているようだけれど、それでも、アンドレア・ボチェッリやフィリッパ・ジョルダーノなど、日本で大ヒットしている歌手もいる。 それはやはり、美しいメロディ、歌の魅力、声の魅力のおかげだろう。 ボチェッリの声を聞いているととても気持ちがいい。 歌う姿を見ると、実に気持ちよく歌っている。 気持ちよく歌うことができれば気持ちいいんだなと、あたりまえだけれど、そう思う。 パバロッティも、きっとトリノ五輪で、気持ちよく、高らかに、朗々と、イタリア歌曲を歌いたかったことだろう。 歌う人が気持ちよく歌を歌い、それを聴く人も気持ちよく歌を聴く。 とても素敵なことだ。 偉大なオペラ歌手を引き合いに出すのは、あまりにも怖れ多いことだけれど、あの音楽の試験のとき、ぼくもそんな風に歌えたなら、どんなに気持ちよかったことだろう。 やっぱりそれが「カンツォーネ」=「歌」の魅力なのだと思う。あたりまえのことだけれど、確かにそう思う。
【ジュゼッペ・ディ・ステファノ「ザ・ベスト・オブ・ナポリタン・ソング」(TOCE-13049)】 第二次大戦後から何十年に渡って活躍し、つい先日(2008年3月3日)亡くなった偉大なテノール歌手。パバロッティの「イタリア民謡」のCDも多数出ているが、個人的にはステファノの方がお気に入りなので、こちらを挙げておく。
【「カンツォーネ:イタリアン・ポップス・ベスト・セレクション」(BVCP-8752)】 カンツォーネ集はこれ以外にも邦盤でいろいろなものが出ているので、まずはどれか選んで聴いてみてほしい。
【「ザ・ベスト・オブ・ジリオラ・チンクエッティ」(AMCE-528)】 チンクエッティの曲は上記のカンツォーネ集CDには入っていないので(例えば、「カンツォーネベスト」(KICW-8421-22)には「夢見る想い」も「雨」も収録されている)、こちらもどうぞ。
イタリア音楽コラム ~ イタリア語の歌を聴いてみませんか? ~ 第2回 2008-05-16