イタリアのポップスやロックについて考えるときに、絶対にはずせないのがイタリアの「プログレッシブ・ロック」だろう。 プログレッシブ・ロックはロック音楽の一ジャンルを指し、よく「プログレ」と略されている。 プログレとは何かについては、なかなか説明が難しく、いろいろな人がいろいろなことを言っていて、そうそうまとまるものではない。 いくつか聴いてもらうのが手っ取り早いのだが、ここではとりあえず、1960年後半から1970年代半ばにかけてブームとなった、 旧来のロック音楽のスタイルを変化・革新させようとした試みだとしておこう。 ジャズ、クラシック等の他ジャンルの要素を貪欲に取り入れたり、アルバム全体をひとつのコンセプトでまとめたり、 一曲に多様な展開を持たせたり、ともあれ、これまで聴いたことのないようなロックを創造するという熱気に満ちた音楽だった。 当時は、いろいろと実験的な試みが行なわれたようだが、ただ、どんな革新もひとたびそれが様式化されてしまえば、 もはや革新的なものではなくなるのは当然であり、プログレッシブ・ロックもそうした道のりをたどることになった。 結局70年代半ばでブームはひとまず収束を迎えたのである。 革新的、実験的、最先端……、こうした観点からすると、 今ではもはやプログレッシブ・ロックはプログレッシブ(進歩的・前進的)ではない(だからこそ「プログレ」と略した方がぼくにはしっくりくる)。 数十年前に流行った日本の「ニュー・ミュージック」が、もはや「ニュー」でも何でもないのと同じことだ。 いつでも、どこでも、好きな音楽を聴くことができるようになった現代、最新のCDと60年前の録音の再発CDとが同時に店頭に並ぶ現代、 もはや進歩や革新のみをよしとする必要もないように思う。 どんな時代の、どんな場所の音楽も、店頭では同じ土俵の中にある。 それに、どんなに新しい、どんなに革新的な音楽を聴いていても、懐かしい場所、心休まる場所を求める気持ちがなくなるわけではない。 時にはそうした気持ちを喚起する音楽を聴きたくなる。 ぼくにとってはそうした音楽のひとつがプログレなのだ。 もちろん、今聴いてもまったく古さを感じないものもあることは付け加えておこう。 けれども、そもそも〈新しさ/古さ〉という基準は、もはやあいまいなものになってきたのではないか。 そうした基準と、音楽のよさとは重ならないのではないか。 埃をかぶった音楽も好きなぼくの言い訳のように聞こえるかもしれないけれど(まあその側面もあるが)、 音楽のよさというのは、それにまつわる個人の記憶と多分に関わっているのだと思うので、 そうした記憶を切り離してはなかなか評価しづらいものなのだ。 さて、70年代にプログレが大流行した国のひとつがイタリアであり、当時いろいろなバンドが登場した。 だからこそイタリアのポピュラー音楽を語る上では、プログレブームにはどうしても触れざるを得ない。 また、イタリアのプログレッシブ・ロック(Rock progressivo)は、日本でも非常に熱狂的なファンが多い。 実のところ、現在のイタリアのチャートを賑わしているようなイタリアのポップスやロックを聴いている人よりも、 イタリアン・プログレのファンの方が多いのではないか。 なにせ日本盤CDもかなりの数発売されているし、当時のアルバムが今なお断続的に再発されているので、 その点でもプログレのCDの方が手に入り易い。 だから、プログレからイタリアのポピュラー音楽の世界に入っていくのもアリかなと思う(実はぼくもそうだったりする)。 ■PREMIATA FORNERIA MARCONI (PFM) 最も国際的に成功したイタリアのプログレ・バンドがPFMである。Premiata Forneria Marconiというのが正式名だが、 世界進出した際に略称のPFMという名が使用された。 イタリアン・プログレを聴いてみたいという方には、迷わずこのバンドをお勧めする。 このジャンルのパイオニアであると同時に、最も良質なバンドのひとつだからだ。 特に世界進出する前にイタリアで出された最初の2枚のアルバム『Storia di un Minuto』(1971年)と 『Per un Amico』(1972年)(邦題はそれぞれ『幻想物語』『友よ』)。 何度も再発されたので、おそらく入手は容易だろう。 非常に叙情的かつダイナミックで、静寂と嵐が、波のように交互に押し寄せてくる。 何度聴いても飽きることがなく、イタリアン・プログレのよさがたっぷりと詰め込まれている。 なお、メンバーに異同はあるが、PFMは今でも活動している。 ちなみに、ぼくが最初に聴いたイタリアン・プログレのアルバムが、 彼らの国際デビュー盤『Photos of Ghost』(1973年)であり、とても思い出深いバンドである。 ■BANCO DEL MUTUO SOCCORSO このバンドもPFMと同じくイタリアン・プログレのパイオニアであるとともに大御所バンドで、現在でも活動している。 疾走感あふれる熱い演奏と、ヴォーカルの伸びやかな歌声が魅力で、 特にこのバンドはロックっぽくないヴォーカルが特徴的であり、好き嫌いもそこで分かれると思う。 ロックよりもオペラのアリアを歌ったほうが似合うのではないかという気もする。 けれど、ぼくはそこが気に入っている。 初期の2枚のアルバム『Banco Del Mutuo Soccorso』と『Darwin!』がお勧めである。 これらもまた何度も再発されており、容易に入手できる。 ■AREA 一応はジャズ・ロックという位置づけを行なうこともできるが、それだけにはとどまらない非常に独特なバンドである。 歌詞は極めて政治的、そしてアラブ・地中海音楽の旋律を引用し、技術力の高い演奏を行ない、 ユーロ・コミュニズムの時代を弾丸のように駆け抜けた。 今なお大きな影響力を誇っている。 そのすさまじい演奏以上に魅力的なのは、なんといってもデメトリオ・ストラトスのヴォーカルである。 人間の声の可能性をとことんまで追求した彼は、ソロアルバムでさまざまな声の実験を行ない、バンドのアルバムでも、 一度耳にしたら忘れられない歌声を聞かせてくれる。 デビューアルバムの『Arbeit macht Frei』(1973年)と、 デメトリオ・ストラトス(彼は1979年に死去)在籍最後のアルバム『1978 gli dei se ne vanno, gli arrabbiati restano!』(1978年)はぜひ聴いてほしい。 こうした新しいもの、斬新なものを求めたポピュラー音楽は、結局どこへ向かうことになったのだろうか。 例えばPFMのメンバーだったマウロ・パガーニが、バンド脱退後の1978年に 地中海音楽のアルバム『Mauro Pagani』(邦題『地中海の伝説』)を出し(この制作にはAreaのメンバーも参加)、 同年にPFMも地中海の民族音楽にインスパイアされたアルバム『Passpartu』を発表する。 PFMはその後、このコラムでも取り上げたファブリツィオ・デ・アンドレとともにライブツアーを行ない、 そしてファブリツィオ・デ・アンドレはと言えば、マウロ・パガーニとともに地中海トラッドの名盤『Creuza De Ma』(1984年)を制作する。 いずれも、ポピュラー音楽の古層へと、そして現代イタリア文化の源へと向かおうとしたわけだ。 このように、新しいものを追い求める試みが、いつしか自らの足元を掘り下げる試みにつながっていくというのは、非常に興味深い。 いくら複雑化が極まろうとも、新しい様式や進歩を追い求めようとも、自分の血肉になっているもの、 自分のアイデンティティを構成するもの、自分のルーツとなる「歌」(歌詞があろうが、メロディーだけであろうが)の力は、 けっして消え去ることなく、いつでも蘇りうるのだと思う。 〈新しさ/古さ〉という価値を越えて、自分の内から流れ出す歌こそ、力強く響く。 お勧めアルバム
『Storia di un Minuto』 (『幻想物語』)
『Per un Amico』 (『友よ』)
『Passpartu』 (『パスパルトゥ』)
『Mauro Pagani』 (『地中海の伝説』)
『Banco Del Mutuo Soccorso』 (『ファースト』)
『Darwin!』 (『ダーウィン』)
『Arbeit macht Frei』 (『自由への叫び』)
『Arbeit macht Frei』 (『1978』)
『Creuza De Ma』
また、YouTubeで代表曲を聴くことができる。
■PFM- Impressioni di Settembre
■Banco Del Mutuo Soccorso - R.I.P.
■Area - Luglio, agosto, settembre(nero), La mela di Odessa
イタリア音楽コラム ~ イタリア語の歌を聴いてみませんか? ~ 第7回 2008-10-16