~ イタリア語の歌を聴いてみませんか? ~ 12.Bella Ciao !! / ~ イタリア語の歌を聴いてみませんか? ~ 第12回


12.Bella Ciao !! / ~ イタリア語の歌を聴いてみませんか? ~ 第12回
《L'amante della musica》

『母をたずねて三千里』というテレビアニメをご存知だろうか。 イタリアの作家エドモンド・デ・アミーチスの『クオーレ』の挿入話のわずか数ページにオリジナルの設定を付け加えて、 全52話の長い連続物語に仕上げた作品だ。 テレビで初回放映されたのは1976年とかなり昔のことだが、現在でも非常に人気が高く、 おそらく見たことのある人もたくさんいると思う(2009年2月現在はNHK-BSにて再放送中)。 ぼくも大好きな作品だ。 ジェノヴァからアルゼンチンに出稼ぎに出たまま行方知れずとなった母をさがすマルコ少年の果てしない苦難の旅には、 多くの人が涙したことだろう。 またアニメーションとしても非常に質が高く、子供の頃に一度見ただけの方も、ぜひ今もう一度見返してみてほしい。 これは単なるお涙ちょうだいの「母恋し」物ではない。 イタリア、そしてアルゼンチンに暮らす人々の、とくに下層社会に生きる人々の姿を、緻密に描き、 まるでその場に居合わせているようなリアリティを感じさせてくれる。 何度見ても新しい発見のある驚くべき作品だ。

このアニメでは、音楽が、そして歌が非常に大きな役割を担っている。 マルコを助ける人形芝居一座の歌、兄トニオの弾くギター、嵐の中を進む移民船に鳴り響く祈りの歌……。 耳をすますと、イタリアの子供の遊ぶジロトンド(日本の「かごめかごめ」のような遊び)の歌まで聞こえてくる。 物語を彩る数々の音楽や歌の中でも、第40話『かがやくイタリアの星ひとつ』で使われた歌はとても印象的だった。 異国の地アルゼンチンのロサリオという町で、無一文となったマルコを、 イタリアレストランに集まったイタリア移民の人々が助けてくれるというエピソードであるが、 その時にイタリア人たちが「故郷の歌を歌おう!」と、 マルコとともに肩を組んで歌った歌が「ベッラ・チャオ」(Bella Ciao)だった (実際にアニメで使用された歌詞は、一般的な日本語訳詞ともイタリア原詞訳とも異なるので、 おそらくはアニメオリジナルの歌詞だと思う)。

原詞をアレンジして訳してみるとこんな感じになる。

今朝、目を覚ますと、侵略者たちがいた
パルチザンよ、ぼくを連れて行ってくれ
ベッラ・チャオ! さらば恋人よ
もしぼくがパルチザンとして死んだなら
君がぼくを埋めてくれ

「ベッラ・チャオ」は、第二次世界大戦末期、ファシズム政権に対して抵抗運動を行なったパルチザンの歌である。 実際にその時代に歌われたかどうかは定かではない。 おそらくは戦後すぐの頃にこの歌詞は書かれたのではないかと考えられているし、 歌われるようになったのは戦後になってからだという(とはいえ、大戦末期に歌われていたという説もあり、はっきりとしない)。 誰が書いた歌なのかも分かっていない。実はこの歌詞は元々のものではない。 この歌がパルチザンの抵抗運動歌として有名になる以前には、労働歌ヴァージョンの歌詞があったという。

朝、起きるとすぐに
私は水田に向う
虫や蚊がいっぱいの中で
一生懸命働かなくてはならない

パルチザン・ヴァージョンの「ベッラ・チャオ」とはまったく異なる歌詞だ。 この労働歌ヴァージョンを、イタリアの大御所歌手ミルバが歌っている映像がYouTubeにあったので実際に聴いてみてほしい。 ミルバは何度も来日しているのでご存知の方もいるだろう。

この労働歌ヴァージョンの歌詞も、いつ、誰が書いたのか分かっていない。 そもそもこうしたカント・ポポラーレ(民謡)というものは匿名性の高いものだ。 誰が作ったかよりも、それを歌うことに意味がある。 パルチザン・ヴァージョンは、言ってしまえば替え歌というわけだが、 そっちの方が今では有名になってしまった。
パルチザン・ヴァージョンの「ベッラ・チャオ」は非常に人気が高く、 現在もいろいろなミュージシャンが歌っている。いくつか紹介しておこう。

■ザ・ブルーハーツの「情熱の薔薇」をカヴァーしたこともあるパンク・バンドBanda Bassottiの「Bella Ciao」。

■イタリアのモダン・トラッド・バンドModena City Ramblersの「Bella Ciao」。

■ Modena City Ramblers『Appunti Partigiani』(2005)

『Appunti Partigiani』


このCDはパルチザン、アンチファシズムをテーマとした歌を集めたものだが、 これに収録の「Bella Ciao」にはゴラン・ブレゴヴィッチ(ユーゴスラビア映画『アンダーグラウンド』の音楽監督)が参加しており、 その点も大きな聴き所だ。

■Modena City Ramblers『Bella Ciao』(2008)

『Bella Ciao』


■イタリアの古謡・民謡を研究する音楽グループIl Nuovo Canzoniere Italianoの「Bella Ciao」。労働歌ヴァージョン(前半)とパルチザン・ヴァージョン(後半)の両方を歌っている。


■Il Nuovo Canzoniere Italiano『Le Canzoni di Bella Ciao』(上記YouTubeの音源。1965年アルバムのCD化)

『Le Canzoni di Bella Ciao』


■Francesco De Gregori,Giovanna Marini『Il fischio del vapore』(2003)

『Il fischio del vapore』


Giovannna Mariniはイタリアの民謡研究者であり歌手であり、Il Nuovo Canzoniere Italianoにも参加していた。 このアルバムはイタリアのボブ・ディランとも称されるシンガーソングライターFrancesco De Gregoriとの共同作。

■Giovanna Mariniの歌う「Bella Ciao」


■Giorgio Gaber『Il mio 68'』(2004)

『Il mio 68'』


イタリア最初のイタリア語ロック(1958年の「Ciao ti diro'」)を歌ったとされる歌手Giorgio Gaberの「Bella Ciao」収録アルバム。

まさに「ベッラ・チャオ」づくし。ぜひいろいろな「ベッラ・チャオ」を聴いてみて楽しんでほしい。 胸に染み入るような哀愁あるメロディと、躍動する力強いリズムとが、聴く者の心を捉えることだろう。

『母をたずねて三千里』の時代(おそらく20世紀初頭)を考えると、 本当にその時代に「ベッラ・チャオ」が人々のあいだで歌われていたのかどうかは怪しいかもしれない。 しかし、歴史的正確さはともかくも、 イタリア人としてのアイデンティティを強く感じさせる場面でこの歌を使うというのはぴったりだろう。 そもそもイタリア人は、イタリア国家よりも、自らの生まれ故郷に対する一体感と誇りとを非常に強く持っているという。 『三千里』でも、イタリアよりも、主人公の故郷ジェノヴァへの帰属意識の方が強く描かれていた。 だが、イタリアを遠く離れたアルゼンチンという異国の地で、一人の同胞の危機を目にし、 出身地域の垣根を越えて心をつなぎ合わせ、「イタリア」という大きな旗の下に人々が団結するときには、 この「ベッラ・チャオ」という歌は実にふさわしく鳴り響く。 「パルチザンのベッラ・チャオ」の歌詞は次のように続く。

君がぼくを埋めてくれ
山の上に埋めてくれ
きれいな花の下に

通り過ぎる人は言うだろう
「なんて美しい花なのだろう」と
これはパルチザンの花だ
自由のために死んだパルチザンの花だ

イタリアの危機に対して立ち上がり、自ら犠牲になることも厭わずに戦い続け、そして死んでいくパルチザンの姿。 この歌はそうしたパルチザンたちの遺書だ。その過酷な体験はイタリア人の心に深く刻み込まれている。 だからこそ、「パルチザンのベッラ・チャオ」は今でも歌われ続けているのだろう。 それが替え歌であったとしても、戦後に作られたものであったとしても。


さて、一年間続いたこのコラムも今回でとりあえずは閉幕となります。 今まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。 来月からは別なコンセプトで新たな音楽コラムが始まる予定です。 ひとまずは感謝の意味も込めて、お別れのご挨拶。

Bella Ciao !!!


イタリア音楽コラム
~ イタリア語の歌を聴いてみませんか? ~ 第12回
2009-03-16