1651年、アペニン山脈の谷間にある辺鄙な村を、四人組の山賊が襲った。だが、逆に村人たちに捕まり、彼らは粉引き小屋に監禁される。そして奴隷として日々粉引きの仕事をさせられ、三年が過ぎた。狼の歯をつけたネックレスを首にかけたこの四人の山賊。彼らは自由を奪われた人生に絶望し、自分たちを殺してくれるように村人に頼むのだった。この村の名は「ヴァルキウーザ」、つまり「閉ざされた谷」という意味だ。 ここまではプロローグであり、本編はこの後から始まる。 時は1954年。森林監視隊(山岳地域を監視する警察部隊)のナザリオは、戦争中パルチザンとして山中で戦っていた。4年前、ゼネラルストライキの混乱に巻き込まれて妻は死亡し、それをきっかけに幼い娘は癲癇に似た発作を起こすようになっていた。かつてイタリアの未来のために戦った彼は、現在の政治に失望し、さらには娘の病に向き合うことができず、チェゼーナにいる自分の両親に娘を預け、まるで逃げるように、そこから数十キロ離れた僻地に単身赴任していた。 ある日、ナザリオは山で足を痛めた友人ジュゼッペを連れて、近くのヴァルキウーザ村に助けを求めて立ち寄る。そこは谷間に隠れた集落で、外部から人が訪れることはほとんどない村だった。だがナザリオの連れていた犬が村のブドウ畑の境界地で人骨を掘り出してしまう。骨の他にも、麻布の切れ端、木靴、そして狼の歯のネックレスが土の中から出てきた。いったいこの人骨は誰のものなのか? その骨について、ヴァルキウーザ村の長である老婆ヴェラは、村に伝わる伝説をナザリオに語る。それが冒頭に記された、数世紀前の山賊の物語だ。彼らの骨と衣類がブドウ畑の四方に埋められており、彼らが守護霊となり畑を守り、それ以来立派なブドウが育つようになったという。事実、この村で作られているワインは絶品であり、村の生活を支えているのだった。 その日からナザリオはこの村と交流を持つようになり、思っていたほど閉鎖的ではないこの村に次第に惹かれていく。さらにヴェラは時折癲癇に似た発作を起こし、その時に見たヴィジョンで予言を行なっていた。まさにそれは娘と同じ症状だった。 ナザリオの娘もヴェラと同様に、発作で意識を失ったときに何かのヴィジョンを見ることがあった。あるとき娘は父親にこう告げる。「パパは地面の中で見つけてはいけないものを見つけた。それはあるべきところにないといけない。さもないと人々は怒る」と。見つけてはいけないものとは、あの骨のことなのだろうか? ナザリオは村の伝説について調べ始める。さらには鑑定の結果、数世紀前のものだと思われていた骨はわずか20年ほど前のものだということが明らかとなる。この村には何か秘密がある、そうナザリオは疑いを抱き始める。だが、この村にはいったい何が隠されているのか…… 出だしはダークな雰囲気に満ちているが、決してホラーでもスリラーでもない。もちろん村の秘密に関してサスペンス仕立ての謎解きがなかなかゾクゾクさせてはくれるが、それが本書の主軸ではなく、謎を追う主人公ナザリオの心の動きにつねに焦点が当てられている。国家や政治に対する失望、パルチザンとして戦った日々の無意味さ、娘に対する不安と罪悪感。娘と同じ症状を起こしながらも、村の長として尊敬を集めている老婆ヴェラ。それに対し、学校にも行かずひっそりと暮らす娘。独自のコミュニティを形成している村に惹かれながらも、法と秩序への忠誠は捨てきれず、しかし政府に対して増すばかりの失望感、そんなさまざまな思いがナザリオを苦しめる。 そんな彼の唯一の救いは狼だった。ナザリオは一匹の狼に心を奪われていた。彼はその狼にパルチザン時代の仲間だったロシア人女性の名をつけて、ヴェルスカと呼んでいた。暇になるとナザリオはカメラを手に、その狼を探しに山に向かった。狼は彼の存在に気づいても、まるで自分の姿を見せつけるように動きと止める。だが、それ以上に近づこうとするとさっと姿を消す。まるで遊んでいるかのように。ナザリオは自由に生きる狼の姿に憧れにも似た気持ちを抱くのだった。 非常に印象的に描かれた山岳地帯の自然描写を背景に、村の秘密、娘の発作、イタリアの政治状況、兵舎での生活、そして狼、さまざまな要素が絡み合いながら話は進んでいき、ついにナザリオは真実を突き止める。そのとき彼は苦しみ、迷い、ひとつの大きな決断を迫られることになる。そして再び彼の前に現れた狼ヴェルスカ。魂の旅路の果てにナザリオが見出した人生のシンプルな真実。まさに狼のように生きるための、よりどころとなる真実。読後に訪れる圧倒的な解放感がとても心地よい作品である。
Eraldo Baldini, Come il Lupo (Einaudi, 2005) ~エラルド・バルディーニ 『狼のように』~
イタリアの本棚 第2回 2012-05-14