逃げ場のない場所、突然襲い来る奇抜な姿をした殺人鬼……、というのはホラー映画やスプラッター映画でお馴染みの定番スタイルだが、今回ご紹介する『ウサギの永遠の夜』もそれを踏襲した作品である。ここでは、ウサギの着ぐるみ姿の殺人鬼が、核シェルターに避難した人々を恐怖に陥れる。 主人公ジェーン(本書の語り手でもある)は、父ノーマンが親類や友人を巻き込んで、核シェルターを共同購入したことを苦々しく思っていた。昨今、アメリカと中国が緊張状態にあるとしても、そんなものが必要になるはずもない。だが、ノーマンの不安は現実のものとなった。2010年4月17日、突然ラジオから緊急放送が流れ始め、ここアメリカに核ミサイルが向かっているということが告げられたのだ。急いでノーマンはジェーンを連れて、庭のシェルターに避難する(このときに、ちょうど仕事に来ていた水道屋の中国人青年も、半ば強引にシェルターに入り込む)。シェルターを共同購入したのは他に三世帯。ジェーンの伯父夫婦、ノーマンの友人夫婦、そしてジェーンの義理の父、つまりジェーンの夫マークの父エリックだ。カタストロフの日、マークはちょうどエリックの家に来ていて、自分の父と一緒にシェルターに入った。他の者たちもそれぞれ自分のシェルターに避難する。 互いに数マイル離れているこれら4つのシェルターには、衛星回線を使ったビデオチャットや、外部カメラで各シェルターの周囲をモニターに映し出す機能があった。しかし、ビデオチャットは1対1のみであり、4つのシェルターが同時に会話することはできない。また、外部カメラ使用時にチャット機能は使えない。さらに問題なのは、衛星回線を使用しているにもかかわらず、可能な通信はこの4つのシェルター間のみ。それ以外の外部と連絡を取ることはできない。つまり、この4つのシェルターは孤立した状態に置かれてしまったのだ。外部カメラに映るのは崩壊した世界。アメリカは、そして世界はどうなってしまったのか、他に生存者はいるのか、文明は滅びてしまったのか、状況は何もわからないままだ。不安を覚えながらも、彼らは不便なチャット機能をなんとか駆使して互いに連絡を取りながら、いつまで続くかわからないシェルター内での生活を開始した。 やがてマークとエリックのいるシェルターで異常事態が発生する。エリックはシェルターに避難してからというもの、ほとんど自分の世界に閉じこもり、ずっと黙り込んでいた。だがある日、扉をノックする音が聞こえると言い出したのだ。だが、マークには何も聞こえないし、外部カメラにも何も映らない。当初エリックの幻聴だと思われたが、そのうち本当にマークの耳にも聞こえるようになった。この正体不明のノック音によって、彼らはいっそう大きな不安と恐怖に飲み込まれていく。そして、ついにマークは外部カメラでノックの主の確認に成功。それは救助を求める生存者などではなかった。人間サイズの「ウサギ」が二本足で外を歩いていたのだ。本物のウサギではない。復活祭の仮装で使われるウサギの着ぐるみだった。この奇妙な光景に自分の目を疑うマーク。以前から陰鬱な強迫観念に支配されていたエリックは、そのウサギを、この地上の生き残りを絶滅させるためにやってきた死の天使だと考えるのだった。そして、このウサギによる惨劇の幕が上がる……。 孤立した4つの核シェルター。逃げ場はない。互いの連絡も限定的であり、物理的に助け合うこともできない。荒廃した地上の光景。誰もが死の恐怖に怯え、神経をすり減らしていく。諍いが起きたり、ノイローゼになったり。そんな状況の中、汚染された地上を闊歩する謎のウサギの姿。シェルターの扉は外部から開けることができない。だが、一人、また一人と、斧を手にしたウサギの餌食になっていく。ウサギの着ぐるみの中には人間が入っているのか、それとも超自然的な存在なのか、いったいウサギの目的は何なのか、どうやってシェルター内に侵入したのか、壁を通り抜けることができるのか、本当に生存者を一掃するために使わされた悪魔なのか。不可解な状況の中、ウサギの恐怖に怯えながらも、絶望的状況に押しつぶされそうになりながらも、彼らはなんとか生き延びる方法を模索するのだった。 本書の大きな特色であり魅力となっているのは、ジェーンの一人称で語られるという点だ。すべてが彼女の見た目で進行し、彼女の心理状態や心の声が事細かに語られる。各シェルターでの出来事も、残虐な殺戮も、すべてジェーンがビデオチャットで目にしたことである。ウサギの姿も当初は伝聞でしかジェーンには伝えられない。そのために本当にウサギが存在するのか、現実なのか、それともすべてはジェーンの見た夢なのか、判然としないまま、読者は宙ぶらりんな状況に置かれてしまう。超自然的な怪奇小説なのか、論理的に解決可能なミステリー小説なのか、ジャンル分けすらも最後の方まで読まないとわからない。それが独特の幻想的な雰囲気を生み出している。 また、ホラー映画ではある種のカタルシスを与える効果のある派手な殺戮シーンも、本書ではあまり見られない。多くのシーンで、すでに殺戮の終わった状態が提示されるだけである。グロテスクなシーンは、登場人物たちを精神的に追い詰めていくために効果的に使われており、終わりの見えない緊張状態の中で、ジェーンは次第に狂気に飲み込まれていく。「不自由なチャットシステム」という設定もうまく使われていて、応答しないシェルターでは今何が起こっているのかわからず(外部カメラ使用中なのか、それとも……)、登場人物の不安を、そして読者の緊張感をさらに増してくれる。ウサギの殺戮よりも、恐怖と絶望と不条理に打ちのめされていく者の心の動きや行動を丹念に描くことが、この著者の主眼であるようだ。 本書は刊行当時かなりの評判を呼び、2006年にイタリアで映画化されてもいる。著者のジャコモ・ガルドゥーミは1969年ミラノ生まれ。現在シンガポールで暮らしているそうである。デビュー作である本書の後、2005年に『L' eredità di Bric』(Marsilio)、2011年には『Il volto della peccatrice』(Alacràn)が刊行されたが、本書ほどには話題にならなかったようだ。
Giacomo Gardumi, La notte eterna del coniglio (Marsilio, 2003) ~ジャコモ・ガルドゥーミ 『ウサギの永遠の夜』~
イタリアの本棚 第9回 2013-01-15