大きく括ればポスト・アポカリプスもの、つまり文明崩壊後の話なのだが、この『狼のニーナ』はかなりこぢんまりとした作品である。小さな村(明記されてはいないが、おそらくイタリア)と狼の群れが暮らす山、舞台はほぼそれだけだ。主要な登場人物もそれほど多くはなく、かなりシンプルな筋立ての中、狼と暮らす孤独な男と少女の物語が語られる。 数年前、世界を災厄が襲った。その災厄がどんなものかは登場人物の回想で断片的に語られ、その断片をつなげていけば、次第になんとなくのイメージはつかめてくる。ともかくも文明は崩壊し(たらしく)、世界は混沌に包まれ、都市から流れ出したならず者集団が、生き残った村々を略奪する。空の色も災厄の日以来、まったく変わってしまった。「空の染み」という表現がしばしば出てくるのだが、まるで子供が落書きをしたように、空が暗い色ででたらめに塗りたくられているのだ。 40人ほどが暮らす山間のピエーディムーロ村。村人たちは、ならず者たちの侵入を防ぐために、外部との唯一の通路となるトンネルをダイナマイトで破壊し、自給自足の孤立生活を送ることを決めた。「旧世界」の残骸が散らばる中、電気もガスもない、文明の利器などない、はるか昔の生活スタイルを送る村人たち。その村には災厄によって混沌の場と化した都市を逃れてきた者もいた。例えば、両親を失い、村の祖父母の元に避難してきた12歳のニーナもその一人だ。 ある日、空の染みから凶事を読み取った祖父は、ニーナを山に連れていく。山の小川の向こう側は狼のテリトリーなので、それを越える村人はいない。しかし祖父はニーナをつれて小川を越え、その先にある小屋に向かう。そこには二頭の狼とともに孤独に暮らしている一人の男がいた。男と祖父は知り合いらしく、祖父はニーナにここまでの道を覚えておくように、と告げるのだった。そして村に災いが起こる。埋もれたトンネルが爆破され、ならず者たちが村に侵入してきたのだ。村の男たちは瞬く間に皆殺しにされ、女や子供は教会に監禁される。急襲の際に逃げ出せたのはニーナただ一人だった。ニーナは祖父から教えられた山道を走る。狼と暮らす男のところに避難するために。 ここまでで全体の四分の一くらい。この後は、村を占領した集団の長であるフォスコ、山小屋で暮らす男アレッシオとニーナ、そしてアレッシオといつも一緒の二頭の狼の話が展開されていく。略奪も虐殺もレイプも何でもやるならず者たちを率いるフォスコは、権力欲と強烈なエゴイズムに満ちた男であると同時に、深い恐怖を心に抱えている。アレッシオは、「災厄」が引き起こした熱病によって妻と娘を失い、苦痛と罪悪感を抱えながら孤独に生きていた。ニーナとアレッシオは一緒に暮らし始める。大きな喪失感と心の傷を抱えるニーナ。最初はぎこちなかった二人の関係も、山の厳しい冬を迎え、大きく変わっていく。そして狼。アレッシオは、母狼を失った二頭の子供狼を拾い、ティトとアルマという名前をつけて、ずっと一緒に暮らしてきた。この山には別の狼の群れがいて(二頭とは別の種類の狼)、アレッシオとは互いに緊張関係を保ちながら共存していた。 冬のあいだ、占領下にある村とは関わりを持つことなく暮らしていたアレッシオとニーナだったが、ある日、アレッシオが撃った一発の銃弾が事態を大きく動かした。銃声を耳にしたフォスコは、山に誰かがいることを知る。ならず者たちに自分の存在が知られたと察したアレッシオは、いずれ必ず訪れることになる戦いに備えて準備をするのだった。 村では、生き延びるためにフォスコの女になることを選んだジョヴァンナ、フォスコに服従を拒否し唯一人教会に監禁され続ける〈魔女〉ディアナ、狼に惨殺される遠征隊、〈魔女〉の逃亡によって恐怖に包まれるならず者たち、そして次第に狂気に陥っていくフォスコなど、個性的な登場人物たちが各々のドラマを展開する。それに並行して、山での静かで緊張感に満ちた生活が、そしてアレッシオとニーナの関係(特にアレッシオに対するニーナの気持ち)、ニーナと狼の関係が、心情細やかに描かれていく。 「災厄」の明確な原因については、結局、最後まで示されることはない。それでも、自らの重みに耐え切れずに崩れ落ちていくかのように、少しずつ、誰も気づかないうちに広がっていた歪みによって、文明社会は自ら崩壊した、そのように理解することもできるだろう。キリスト教が体現する文明が崩壊し、そこから野生を土台にした異教が立ち現れてくる。そうした新世界の誕生がシンボリックに描かれている。非キリスト教的という意味での「異教」ということなのだが、そうした雰囲気が本書全体に漂っているのは大きな特徴でもある。 災厄以来、このピエーディムーロ村の住民は神への信仰を失っていた。教会も建物は残ってはいるが、まったく機能しておらず、逆に略奪者たちが教会を牢獄として用いることになる。狼や〈魔女〉のせいで士気を喪失している部下たちを鼓舞するためにフォスコが持ち出すのは「古き神」、つまりキリスト教の神だ。そうした文明の残骸、古き宗教、もはや滅びたものにしがみつく者たち。それに対して、不安を抱えながらも勇気を出して境界を越え、新しい神話、新しい世界へと踏み出していく者たち。この両者が対比され、後者に未来の希望が託される。 著者のアレッサンドロ・ベルタンテは1969年北イタリアのアレッサンドリア生まれ。ミラノ在住。2000年に『Malavida』でデビューし、以後、小説や評論で活躍。2008年に出版された『Al Diavul』では、Chianti賞とcitta' di Bobbio賞を獲得した。ちなみに本書『狼のニーナ』は、2011年度のストレーガ賞候補12作の中にノミネートされたが、残念ながら受賞は逃した。
Alessandro Bertante, Nina dei lupi (Marsilio Editori, 2011) ~アレッサンドロ・ベルタンテ 『狼のニーナ』~
イタリアの本棚 第11回 2013-03-15