僕が訳者としてシルヴァーノ・アゴスティの小説に関わるのは、これで三冊目になる。今回の原書は"Il ballo degli invisibili"というタイトルで、直訳すれば、「見えないものの踊り」。イタリアでは二〇〇七年一月に発売され、ノーベル賞作家の名を冠した文学賞デレッダ賞を翌年に受賞した、「一風変わった」小説集だ。 これから週に一本のペースで翻訳連載する作品は、短編よりもさらに短い掌編、いわゆるショート-ショートにあたるようなものである。ただし、作家本人が「まえがき」でも触れているように、それぞれ文章は磨きこまれ、削ぎ落とされ、ごくごく短いものではあるものの、そのシャープな表現の背後に広がるのは、長編小説で丹念に描くに値するような、奥深い登場人物たちのありようである。 映画監督でもあり、詩人でもあるアゴスティは、文章表現において細密な描写を重ねていくタイプではない。どちらかというと、行間の余白部分に読み手の思い浮かべる映像を投影させるかのような、「描きこまない」スタイルを好む。その引き算の美学が「短い長編小説」という形で先鋭化したのが、この作品集だろうと僕は思っている。先ほど「一風変わった」と書いたのは、そのせいだ。 一癖も二癖もある、バラエティーに富んだたくさんの登場人物たち。彼らは、イタリアはおろかローマでも名を知られていない、ごくごく普通の市井の人たち。通読してもらえれば、彼らを通して、現代のローマが立体的かつ多面的に浮かび上がってくるはずだ。 遠く離れた国のよく知らない街に生きる「奇妙な」人々が、あなたやあなたの周りの人々によく似ていることに驚くかもしれない。あるいは、今のローマに、一昔前の日本や、逆に未来の私たちの姿を見るかもしれない。いや、むしろ日伊の文化間の本質的な違いを意識し、そこから刺激を受け取ることになるかもしれない。読者の皆さんの反応が、今から楽しみだ。 さて、僕が二〇〇五年から主宰している京都ドーナッツクラブは、知的好奇心の輪を広げる活動を信条とする企画者集団で、映画・音楽・文学・演劇・食文化などなど、それぞれに得意なフィールドを持つメンバーの多くがイタリア語を解する。そんな彼ら仲間とこの本について話していると、やはり人によって好きな作品にも、その解釈にも大なり小なり違いがあるということに気づかされ、読書体験の思いがけない広がりに感じ入ることとなった。そこで思いついたのが、メンバーそれぞれが思い入れのある作品をそれぞれのスタイルで翻訳して連載し、この多様な小説集を翻訳によってさらに多様化させる試みだ。 九十二の作品を通して、唯一毎回のように登場するのが、作者アゴスティなのだが、この試みにおいては、そのアゴスティのイメージでさえ趣に違いが出るだろう。それもよしとしている。文学作品の翻訳というものが、訳者によって物語や作者の印象も様変わりすることを感じてもらえるだろうから。一人称や語尾表現、さらには敬語などに豊かさを湛える日本語は、翻訳のアウトプット言語としては、他の言語に比べて訳者の違いが鮮明に出やすいという人も多い。その邦訳ならではの隠れた味わいが、グッと際立つ様子もご堪能いただければ幸いだ。訳者名(あるいはドーナッツクラブのコードネーム)とそのプロフィールを毎回付すので、どんな興味を持って何を専門とする人物が選んだ作品なのかと広がりのある読書の参考材料としてほしい。 最後に、連載名を『九十二の短い長編小説』とかなりフラットで味気ないものにしたのは、この「一風変わった」小説集の「一風変わった」翻訳プロジェクトに頭から意味深な言葉で味付けをして、狙いとする多面性の角を取るようなことをしたくなかったからである。 ここに集うたくさんの物語が、あなたの暮らしに味な刺激を与えることを願ってやまない。
京都ドーナッツクラブ代表 (旧:大阪ドーナッツクラブ) 野村雅夫(ポンデ雅夫)