06.驚きが沈む とり憑かれたかのごとく、世界中で起こるひどい事件を新聞・テレビは並べたてる。恐ろしさを最優先して、ごく細部まで明らかにするという作業は、それを見聞きする私たちの心の中から、驚きを消し去ってしまった


『見えないものの踊り』


06.驚きが沈む


 とり憑かれたかのごとく、世界中で起こるひどい事件を新聞・テレビは並べたてる。恐ろしさを最優先して、ごく細部まで明らかにするという作業は、それを見聞きする私たちの心の中から、驚きを消し去ってしまったのかもしれない。そう、驚きを消し去ってしまいそうだ。
 二機の飛行機によって、地上になぎ倒されたツイン・タワーの映像を見た後となっては、もう驚きは感じにくい。その他の多くの大虐殺や、それにも引けを取らない悲惨でやっかいな状況を前にしたとしても・・・
 人間に驚きが欠けていくのは危険な兆候だ。イタリアの草地や平野から露が確実に消えているのと同じようなものだろう。
 人間の心からは驚きが、そして草原からは露が消える。どちらも汚染による深刻な兆候で、言うなれば、人間の内面と自然界という二つの領域が毒されているのだ。

 テレビのニュースや大手の新聞で語られる恐ろしい出来事は、時に巧妙な手口を使い、人の好奇心をかきたてる。例えば、母親が息子を殺した後、無罪を主張するという不可解な殺人事件が起こった。この件で母親は、司法官から息子殺しの全面的な責任を指摘されていたのだが、起訴も、ましてや判決も受けなかった。別の子供を養育するために、家に残らなければならないという理由があったからだ。それからというもの、このニュースは数カ月間、毎日のように情報メディアの一面に現れ、そして突如として静けさの中に消えてしまった。そうして私たちの心に残ったカチカチに固まった分厚い霜のような不安が、あの病的な好奇心をかきたてる。表面的には説明がつかない凶悪事件にはつきものの好奇心を。

 そして、驚きの衰えは単に人の状態を示す兆候というだけではない。吐き気がおさまらず、どんどんひどくなるという症状も記録されている。

 たまたま、ガルダ湖岸の小さな村の救急病院に、友達を連れていったことがある。
 一人の医者が私の友達を診察しているそのとなりで、別の医者が、どんより沈んだ雰囲気の男と話をしていた。
 「なあ、先生。吐き気がとまらんのですわ。食べる量を減らして、濃い味付けを控えているのに、おさまる気配もない。
 検査もしたけれど、体の数値はみんな正常だし、この村の空気はとてもきれいだし」
 医者は、彼について、ありえそうもないことまで調べつくしたが、これという原因をみつけることができなかった。しかし、医者は急に目を光らせ、こうたずねた。
 「新聞を読みますか?」
 「毎日読んでますよ」男は丁寧に答えた。
 「ニュースと、討論番組をよく見ていますね」
 「はい。ですがね、きのうの晩は頭痛までしてきたんでテレビを消しとりました。そしたら吐き気がおさまって、ほとんど回復したんですわ。でも、今朝またぶり返しました」
 「何をしましたか?」
 「朝食の途中、新聞をちょっと見ただけですよ。それからラジオのニュースを聞きました」
 医者は重々承知といった面持ちで、きわめて大きな発見をしたときの喜びをなんとか押さえつけた。そしてひとり何かつぶやいてから、こう言った。
 「過度の陰性刺激による嘔吐感です。よく聞いてください。新聞を読むのをやめ、テレビのコンセントを抜いてください。ラジオも10日ほど消したままにしてください。
 そうすれば、吐き気はおさまるでしょう。もし新聞なしでつらくなったら、去年のものをさがしてみてください。今年のものと何ら変わりないでしょうから」
 男は気力が湧いてきたようだ。その目は少し潤んでさえいるではないか。
 「ありがとうございます、先生」


訳:二宮大輔(ハムエッグ大輔)
ローマ第三大学で勉強するかたわら、翻訳などに従事する。専攻は現代イタリアの言語学と文学。最近の興味はモーロ誘拐事件をはじめとする1970年代の社会史。