数ヶ月前、ちょうど僕の家の下にケバブの店がオープンした。 ごくごく小さなもので、オリエンタルな飾り付けがしてある。 僕はそこの従業員と仲良くなった。みんなEU以外から来ていて、それぞれの出身地はてんでバラバラだ。 彼らは片言のぎこちないイタリア語でコミュニケーションをとる。 カウンターはクルド人、厨房はパレスティナ人が受け持っていて、皿洗いはコロンビア出身のクベイオス族というインディオの家族が担当している。 店からは、一日中、いろんな民族の音楽が飛び出してくる。そのたびに、何の変哲もない歩道が遠く離れた世界へと様変わりしてしまう。 インディオの家族にはニーナという女性がいて、客足が一時的に遠のく昼下がりには、歩道の真ん中にあるベンチに座って一息ついてにこにこしている。 そんなとき、彼女はよくクベイオス族がコロンビアの森の中でどんな暮らしを送っているのか、誰かに語って聞かせている。 ある日には、こんなことを耳にした。「宣教師たちが村へやってくるまで、あたしたちはみんなひとつ大きな屋根の下で寝てたの。子供たちはどこそこの子供っていうんじゃなくて、みんなの子供だったわねえ。 それが宣教師が来てからというもの、やれ服を着ろだとか、やれ別々に暮らせだとか言われてさ。でもね、今でも年に一回はみんなで集まって同じ屋根の下で寝るようにしてるのよ。一夜だけの愛のパートナーを探しちゃったりなんかしてさ」 ローマにやってきたいろんな民族の文化にこうして接することができるのは、なかなかにすばらしいことだと思う。僕たちの文化とごく自然に比較できるのだから。 今日のニーナは、五階の未亡人とクベイオスの女性たちのお産について話し込んでいた。 「産気づいてきたら、女は川へ向かうの。そしたら、流れのきつくないところで、つかまれそうな枝を探すのね。 陣痛が始まると、女はちょうど腰まで水に浸かるように川へ入るの。それから両手でがっしりと枝をつかんで、いきむのよ。赤ちゃんがつるっと出てきて、水の中でバタバタするまでね。女はへその緒を歯で噛みきって、自分で結ぶんだから。 赤ちゃんを抱えて落ち着いたら、村に戻るわ。その間、父親は何をしてるかって言うと、自分に陣痛が来たんじゃないかっていうくらいに身をよじらせて心配してるわけ。しょうがないから、親戚連中が競うようにしてなだめたりしてね。 母親がみんなに赤ん坊の顔を見せて回ったら、いよいよ父親が我が子を腕に抱いてにんまりよ。 親戚が男におめでとうって言ってる間に、女はちゃっちゃと火を起こしてみんなに振る舞う料理をこしらえるの。あたしの生まれた時もそうだったわ」 五階の未亡人がニーナの耳元に顔を寄せてこそっと言った。「あんたたちのとこでも、やっぱり男どもはおいしいとこだけ持って行くのね。ろくに耕してもいないくせに、収穫だけは張り切るんだから」 ふたりはくすくす笑い、民族の壁は音もなく崩れていった。
訳:野村雅夫(ポンデ雅夫) 1978年、イタリア、トリノ生まれ、滋賀育ち。イタリア語は大阪外国語大学で学び、映画理論を専攻。大阪大学大学院博士後期課程単位取得退学。言葉と映像の関係性について、パゾリーニの映画論をベースに研究。アゴスティの訳書に、『誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国』(マガジンハウス)、『罪のスガタ』(シーライトパブリッシング)がある。大阪のラジオ局FM802でDJとしてNIGHT RAMBLER MONDAY(毎週月曜日深夜1時から4時の生放送)を担当。