プロの泥棒に出会った。しかも、単にものを盗むだけではなくて、その腕前を誇りに思っているような類の泥棒に。ある朝、彼は神父の格好をして、物思いにふけった様子で僕の家の居間のテーブルに腰かけていた。実は、僕は起きている間は家に鍵をかけない。朝になって瞼が開くとドアを開けに行き、夜眠くなって瞼を開けていられなくなると、ようやくドアに鍵をかけるという具合。 僕が新聞をピックアップしに一階の集合ポストまで行って帰ってくる数分の間に、その泥棒は開けっぱなしのドアから家に入り込んでいたというわけだ。 「神父さま、おはようございます」僕は家に入りながら「僕にご用ですか?」と言った。 「何が神父さまだ。泥棒だよ、俺は。いいか、鍵もかかってないような家でものを盗むのは俺の流儀じゃないんだ。あんた、ここに住んでんのかい? なんだって鍵が開けっ放しなんだ?」 「閉めてると、どうも牢屋の中で暮らしてるような気分になるもんで」 僕がそう答えると、彼はびっくりした顔でこちらを見やり、それから自分の人生について手短に語った。 彼はマンション専門で、泥棒なのに足るを知るという珍しい男らしい。 節度があるというか、ものを盗むときには、戦利品はすべて持ち去らずに被害者の分を残しておく。現金を見つければ、数えたうえできっちり半分だけ頂戴する。 実は、この男は平均的な給料に相当する価値以上には盗みをしない。その時代その時代で、社会学者が算出する必要最小限のサラリーを参考にするようだ。 彼のテクニックは、狙いのマンション付近の雑踏をとにかく研究し尽くすことにある。すると、ターゲットとなる主婦が三・四人は浮かび上がってくるから、今度は彼女たちに集中する。耐えがたい孤独に背中を押されるようにして、彼女たちは必ず決まった時間に買い物に出かけ、来る日も来る日も判で押したようにまったく同じ行動を繰り返すものだ。 彼女たちの外出と帰宅の様子を、一週間にわたって観察する。メモをとり、あらゆる動作に気を配る。インターホンを鳴らすようなことがあれば、それはすなわち家に誰かいるということになるし、ドアに辿りつく数メートル手前から鍵を準備してるようなら、それがどんな時間であったとしても、家はもぬけの殻ということになる。 彼は鍵ならどんなものでも開けられるのだそうだ。 「難しくもなんともないさ。手抜かりさえしなきゃな」 「というと?」 「緻密な仕事をして、適切な道具を選べばってことだ」 変装をするのは、人の眼を避けるのに役立つという。ターゲットを尾行したりするのに便利で、一番よくするのが神父の格好だ。 「この服を着てればどこへでも行けるってもんさ。誰かに呼び止められるなんてこともない」 彼が盗みを生業としてからおよそ三十年になるが、アラームなどのトラップにひっかかったことも、ミスを犯したことも、警察に出くわしたこともないという。 他に何もできることがないから盗みを始めたんだと彼がそのきっかけを語り出したときに、差し出がましいのを承知で、僕はこんなことを言ってみた。運命が本来あるべき(だった)生活からあまりにも遠いところへ彼を運んできてしまったこと。そして、これは僕の個人的な意見だが、盗みを働くと誰でも、遅かれ早かれ、どんな風にかは別として、盗んだものの四倍は失うことになるということ。 「じゃあ、どうすればいいってんだよ。ありもしない仕事を探しに行けってのか。それにもし仕事が見つかったって、一日に八時間とか十時間とか働きづめでだなんてまっぴらだぜ。牛や馬でもあるまいし。下手をすりゃ、雨の降らない日曜日にしかお天道様も拝めないわな。生きるのに俺はどうしたらいいってんだよ?」 「ちゃんと寝ること。正しい食生活を送ること。働きすぎないこと。何かを学ぶこと。毎日誰かを案じること。誰かと愛し合うこと。君がいないと存在しないような何かを創造すること。そして、できれば家のドアの鍵を開けておくこと。元気でいるには、他に何もいらないよ」 「そういう知恵があればな、盗みなんてせずに済んだんだろうが…」彼は苦々しい笑みを浮かべて言った。「じゃあ、逆にどうしてみんなものを盗むんだ?」 「人生は一度しかないってことを忘れてるんじゃないかな」 「ああ、もうご託はもうたくさんだ。鍵のかかったドアを探しに、どこかよそへ行かせてくれないか」
訳:野村雅夫(ポンデ雅夫) 1978年、イタリア、トリノ生まれ、滋賀育ち。イタリア語は大阪外国語大学で学び、映画理論を専攻。大阪大学大学院博士後期課程単位取得退学。言葉と映像の関係性について、パゾリーニの映画論をベースに研究。アゴスティの訳書に、『誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国』(マガジンハウス)、『罪のスガタ』(シーライトパブリッシング)がある。大阪のラジオ局FM802でDJとしてNIGHT RAMBLER MONDAY(毎週月曜日深夜1時から4時の生放送)を担当。