二〇〇五年の春、真っただ中。 昨日までローマは大勢の人で溢れかえっていた。死にゆく教皇と新たに生まれる教皇を一目見ようと、サン・ピエトロ広場へと続く通りを巡礼者の群れがさまよっていたのだ。 ところが、今や人もまばらとなった通りでは、また違う顔ぶれを見かけるようになった。それも、たまに出くわすといった感じではないから、気づかないで通りすぎるわけにもいかない。 彼らはお互い数百メートルくらいの間隔をあけて座っている。そして疲れきったような視線を漂わせ、肢体の不自由になった部分をこれ見よがしにさらしていた。 ジューリオ・チェーザレ通りには、両足が切断された痕を剥き出しにしている男がいる。そのピンク色の生々しい傷跡は、憐みを引き起こさずにはいられない。 オッタヴィアーノ通りに入ると、両腕のない女性が目に入った。その向こうで手を差し伸べている男には、左腕の肘から先がなく、切断されずに残った上腕部がジャケットの袖に隠れている。 通りかかる人たちはこうした悲痛な姿を目のあたりにし、彼らの身に降りかかった哀れな運命に素知らぬふりをするわけにはいかなくなる。 地下鉄の入り口付近では、ゴミ回収コンテナの横にいつも座っている女性がいる。三年以上も前からそこにいるので、他の物乞いと見紛われることもない。 はじめの頃、彼女は生まれたばかりの息子を腕に抱えていた。当然ながら月日と共にその子はぐんぐん成長し、今では「幼稚園」に通う年になっているのだが、相変わらずゴミ回収コンテナに囲まれて日々を過ごしている。 その子が大きくなってからは、母親に従っておとなしく座っていることもたまにはあったが、たいていの場合は元気よく動き回っていたので、もう誰も彼女に憐れみを抱かなくなってしまった。「この女はこんな素晴らしい息子を授かっているのだから、恵んでやる必要はないんじゃないか?」と思われてしまうようだ。 男の子があまり育ち過ぎてしまうと金にはならないと、きっと他の物乞いたちも気づいたに違いない。 案の定、今朝の彼女は乳児を抱えて悲しげな視線を漂わせていた。自分の子供と交換に、他の物乞いが子供を貸してくれたのだろう。要するにこの一帯には、足や目が不自由な障害者や物乞いなんかがばらまかれていたのだ。彼らは朝早くバンに詰め込まれてこの地区に運ばれ、夕方遅くに回収されると、近所のバリスタは言っていた。 この悲劇的な「人材」が運ばれて来たり回収されたりするところを、実際にこの目で見たくなった僕は、夕方もう一度この場所に来てみることにした。 かくして、夜が迫り人通りも途絶えた頃、とうとう件のバンがやって来た。がっしりとした男が二人、バンから降りて物乞いの一人に近づくと、物乞いは小銭が詰まった缶を差し出す。すると強面のふたりはこの貧相な男を持ち上げてバンに詰め込み、車を発進させた。 僕は自転車で後を追い、見つからないように注意しながら、二十人ほどの身体障害者がバンに積み込まれるのをずっと見ていた。 帰りに家の近くの教会で、毛布をまとった両手のない老人を見かけたので、声をかけてみた。 「おい爺さん、寒いだろ。こんなところで何やってるんだ? 取り残されたのかい?」 「隠れてるんだよ。あいつらとはもう仕事をしたくないんでな。ほんのちょっとの小銭しかくれやしない。明日からは独立して稼ぐことにしたんだ」
訳:稲葉伸之介(稲葉チョコレート) 大阪大学大学院文学研究科修士課程修了。二〇〇四~二○〇八年、ローマ大学留学。専門はイタリア現代史で、陰謀渦巻く知られざる闇を研究中。現在は東京で翻訳・制作会社に勤務するかたわら、「ボン企画」に所属し各種イタリア関係コーディネート、翻訳、通訳、ガイド等にも従事。